(8)澤合會報第丗號(昭和八年十二月九日印刷、十日発行、編輯者大坊亥之助、印刷者吉田二郎)
《澤合會報第二十七号の後藤忠論に対して一人ひとりに会報を通して返事を書いています。順番は同じです。》
「描かれた“忠評”から」 ただし
巨匠の作になった自分の塑像を見るやうなきがする。鏡に映る部分は自分もよく知ってゐるやうでゐて、なほ教へられるところが多かった。ましてや私自分が見ることの出耒得ない背中においてをや。短所として指摘されたものに“感情家”“強情張り”“底意地悪し”“物事を悲しく見る”“偏屈ないじけもの”“皮肉屋”“おせっかい屋”等々どれ一つとして肯綮を射らぬ評はない。だのに“実にいい人だ”“とても親切だ”“優しい人情の人である”“なかなかやさしみのある男性である”等々その他讃辞の辯を随所に見せてプラスマイナスにしても尚且つあがらざるを得ない程で、穴があったら入りたいです。ボーナスのシーズンも近い。茲もと一番ふところに要心すべしですか。
○ 信ちゃんへ
君にはいさゝかほめられ過ぎたきらひです。余り高く評價してあとで“なんだ買ひすぎてゐた”と悔ゆること勿れ。だが、一本気とニヒリストだけは肯定する。一本気は單純を意味することを忘れぬやうに。
○ やまへ
君とはそんなに気が合わなかっただらうか。私には一つとして記憶にあるものはなし。いづれ機会があったら良男氏におたづねしてみやう。私をチンバといふ人があったら辯じて下さい。
○ 若木さんへ
“達筆は僕程度らしい”ですか。それを聞いて安心しました。読んで頂ければ無理して達筆家たらんと精進することもありませんね。ご縁がありましたら一緒にセビロで京の盛り場新京極を漫歩してみたいです。マンザラ夢でないかもしれませんよ。
○ きみさんへ
“うさぎの耳はなぜ長い・・・”の歌はそんなに哀れっぽかったですか。あの頃は非常なセンチメンタリストだったから、そうかもしれませんね。今日では強くなりつゝあると言ひきるほどに・・・世渡りにはある程度のニゴリが要りますネ。
○ よこへ
冬の山が耒たネ。今年もお世話になるヨ。初すべりはとうに済んだことだらう。
スキーマニア-は十四日(十一月)ムイネでやって耒たよ。だがクタクタにのびてしまった。“人間は誰でも、ほんとうの悪人といふものはない。ただ善をなす事は難しいことである”味ふべき言葉だ。おしへられるよ。
○ ダイボウへ
ビールを味はったよ。煙草も喫ってみたデス。どうも煙草は頭が重くなり(オッとチェリ級に非ずです)胸がムカつくのでダンゼンよしにした。お酒は呑んで呑めんくちでもないと思うが環境が許さないだけさ。“人生それは苦である”に屈したことは確かだ。近頃は自分ながらタンクになったのには、驚きあきれるデス。
○ 辺へ
君も髙く買ってゐるよ。再認識を要す。だが髙く買ふべく余儀なかったのかもしれぬ。忠のような固さでは世の中はなかなか渡りにくいです。ニゴリの度合いで渡りにくい世の中も案外スラスラと渡りやすくなるのをおぼろげに感じたです。毎夜、雀をあさりに田舎から出かけるのもその一つサ。
○ ミケちゃんへ
心憎いまでも忠の表裏を見抜いた君の烱眼に敬服する。フラウの撰択まであづかって忝い次第です。“おとなしく聰明で朗らかな女性”とは余り欲張りすぎて罰があたるかも知れん。
が、朗らかなヲンナの子を物色するつもりです。どうぞよろしく(まああきれたものです。
どっちが・・・?)
○ 高木氏へ
山は歩いたですが勉強の方はすっかりルーズにし貴意に背くこと甚だし。皮肉家といったのは君だけ、たしかにあたってゐる。会社ではヲンナの子から“皮肉家”のニックネームを頂戴してゐる。
でも,“世界の皮肉家”バナード・ショウ翁の孫-孫-孫-孫にもあたらんです。マゴマゴいふと殴られるかもしれんですナ。桑原桑原
○ 金木氏へ
あの頃を思ふと余りにおせっかいしすぎたきらひが多い。親切も度を超すとこうるさく感ずるものだ。その点君には重々おわびする。今日君から讃辞を頂きくすぐったいやうな気もする。いぢけ者であった私は団体行動を余り好まなかったのが一人で山を親しむやうにしたのだ。それがクラスメートと山を歩くやうになってから、人の和を痛切に感じた。
この点澤合會の人々に感謝する。
○ 石塚さんへ
性耒愚鈍な忠で地の塩とは何んの意味であるかを長いこと考へさせられてゐたが、近頃になってやっとわかりかけて耒たやうな気がします。はたして“地の塩たり得るだらうか?”駄馬にむちうって努力を續けたいです。世渡りって却々ムズカシイですネ。
○ お芳さんへ
思ひで多かりし運動会、わけても対抗リレーに栄冠をロストしたメンバーの一人。以後三ヶ年間も惜敗しつづけた無念さは今もなほ当時をまざまざと想起さすです。最初は二年のときだったよ。チンバのやうに見えるのは私が悪いのだ。チンバと見る人に辯じて下さい、とお芳さんにお願ひする。おせっかい家だった私をヲンナの子たちにもお世話の度を越したかも知れません。今後は気をつけませう。御注意を感謝す。
愚感を入れて忠評に対する微意を表したつもりなのですが、敬称を略して呼びなれたまゝを書きなぐりました。許してください。“忠評”と併読して下されば幸ひこれにすぐるものはありません。
一九三三・十一・二六