又彼の半生は苦難の半生だった。だが此の苦難の半生が現代の經済的機構の缼陥と相俟ってインテリ-な彼に貧しきものに對する同情心を培わしめた。彼は日々報道される憂鬱な親子心中、貧なるが故の幾多の犯罪を聞いては同情心が義憤にまで変わる彼を見た。僕はその義憤以上に越える事を彼の上に欲しない。“オイ大坊金がないだらう”僕は彼に逢う毎に何時でも懐中をすっぽぬかれる。そしてなけなしの財布から五十銭玉を二枚位ポンとつき出してくれる。はたから見てゐると金なんかに無関心に見えるが実はそうではない。非常に欲しいのだ。だがそこに彼の心から出た友情と同情心があるのだ。

ジャーナリズムの殿堂にあくせくして居る彼は幾多の社会の表裏を看破し、幾多の矛盾、經済思想問題、はては滿州問題までたづさえて耒ては、我々によく話してくれた。そうしてそのジャーナリズムの波に乘る幾多の社会的犯罪、世の矛盾、加ふるに自己の煩悶、家庭的な惱、そうしたものが神經質な彼に人生の苦惱を感じせしめるのであった。そうして生まれ出づる幾多の惱みを感じた彼は何時も神秘に包まれた山岳を、白雪に被われたニセコを憧れ、或る時は若きアルピニストの旅とし、或る時は死として彼の魂に彷徨ふた。“何の為に自分たちは生きてゐるのであらう、此の苦しみを、此の惱みを逃避するには唯死と旅があるのみだ。“神經質”な色彩をいっそう濃くして度々云った事を思ひ出す。

だが彼は非常に家庭を思ひて弟妹を思ふ男だ。彼がニセコに死を求めて行った時雪煙に浮かんで耒たのは、その弟妹達だったらう。役所の帰りなど時に月遅れの少年少女雑誌など大事そうに抱えて持ってくる彼だった。彼は優しい兄であり、おとなしい家庭の中心である。此の様に彼も又実に涙もろい男であった。今では“人生それは苦である”と云ふ事実の前に屈服して居るらしい。

悪口を云へば、唯感情家である点に於いて、我を張る癖があり人々とよくいきさつをし、感情の動くままに行動しやうとするいやみをもち合わせて居る。もっとどっしりした冷靜さを持つ様、彼の上に望む。そしてもっと樂観的になって欲しい。(麻雀の相手となるに好都合だから、ばかりでなく)彼は何処かに淋しさを持ってゐるから常に物事を悲しく見る癖があると思ふ。

もっと落ち着いた強さというものが欲しひものだ。悪く思うなよ。   盲言多謝

 

「忠評」                          渡辺春江

一見廿六、七歳、色割合に黒く、身長日本人には普通、特徴としては話の中途で話を考えるときコメカミの所へ手をやって目をつぶり顎を上に持ち上げる。だがこの位では“忠”なる人間を調べ上げる材料にしては余に心細いやうだ。次に私に感ずる忠なる人間の内容をザット書いてみやう。

非常に眞面目な彼である。勿論お酒はおろかタバコをものまない。論より証拠三月十四日円山の奥で撮った寫眞に忠氏初めてタバコなるものを口にしたのです。あの恰好なっていませんね。実にあの通りなのです。私が帰ってからといふもの忠氏こんどこそ書いて呉れって泣かんばかりなのです。それは私にばかり願ってる言葉でもないんですが・・・とまれ耳にタコのいく程願はれたわけです。それも誰の罪でもなく即ち忠氏の眞面目さ真劍さがかくあらしめたのです。

彼忠氏話をさせればなかなか雄弁です。二時間でも三時間でも喋々として話しているんですからね。ためしに山の話させて御覧なさい。前日よく眠っておく必要を感じますよ。眞面目だからわからずやかと思へばサにあらず、娯樂ならなんでもとはいへぬかも知れぬがやる。最近夜忠氏宅を訪問すればわかるが、どこかへ雀をあさりに行くらしい。東札幌の田舎にゐて夜わざわざ雀とりとは聞こえませんね。

忠氏はそして仲々やさしみのある男性である。少々女性的ともとりやうでは思へやう。

だがあれが又忠氏の忠氏たるところではなからうか。妹弟思ひの忠氏、あの眉宇に長男に生まれた責任感が私に感ずる。なかなか苦労しているやうだ。しかし忠氏よ苦労はこれからですぞ。おっと危険、危険。変な方にコースを取り違へちゃって悪く思はんで下さひ。以上、ほんとにザット私の忠氏から受ける感じです。余にザット過ぎて怒らないやうにして下さい。

 

「後藤氏を観る」                      中村幹枝

余り暫く御無沙汰してゐたので、この頃よく忠氏らに行き逢ふと、何をさしおいて原稿の催促である。それも其の筈、今月は彼の評を書く番であった。原稿に忠実な彼は又それを催促する資格を持ってゐる。彼は相当の包容力を持っている。併しそれは彼の天性ではなしに、何時頃からかの彼の努力の賜らしい。人をいれると云ふ心の寛大さは社会人として最も必要であり、私はそれを尊いものと思ふ。ともあれ彼は完全な二重人格者である。偏屈ないじけ者でもあり優しい人情の人でもある。

或る時の彼の感情は柔らかな温かさと冷え切った惨忍性とのぶつかりに懊惱する。時として企てる彼の現実逃避を意気地なし、卑怯者と叫びはってはいけない心弱い彼である。広い世界の隅っこから、力強き暖かい手が延びてしっかりと抱きしめられると、彼は涙を流して無我夢中で奮闘する。彼は常に其の力を寂しく求めてゐる。彼には人生に疲勞しきった影が時として浮かんで耒る。躁はきおった心を、自然に対する憧れを以って潤していく彼、人生に対して余り消極的であってはいけない。

そうした事の結果は常に敗惨である。常にセンチでありすぎてはいけない。(センチでないと云ふ事がデカタンになったと云ふ事でない限り)これではまるで忠評ではなしに、生意気なお説教である。

一つ方向を転換させて止しにしやう。彼読書する時、或る特別なアクセントを用いる。ものによってそれが非常に聞いている人に感動を与へ、又クスグッタイ感じを起こさせる時がある。彼の長所であり短所の一つである。その広いヒタイには苦惱の小キザミがある。その小キザミの奥が素直なときには非常に好感を持てる人物であり、ヤヽッコしい曲折を生じて耒ると手のつけられないむずかしい男になる。前に云った様に二重性格を持つ彼である。最後に一つ、重大な問題がある。彼の細君、私はかれにおとなしく聰明で朗らかな女性をすゝめ度い。でなければ彼の結婚生活は幸福に送られはしない。まあせいぜいそんなところを物色すべきである。内助の功いかんに依っては起つ彼であり、屈する彼でもあるらしい。口の悪いの生まれつき、悪しからずお許しを乞ふ。

 

 「後藤氏の事」                       髙木生

 後藤氏の事ですね。ちょっと書く事になると書けませんね。彼はとても休みを利用して山へ登山する事を第一の樂しみとしているやうである。又彼は大して勉強の余念にない。ちょっと皮肉家やうに見える事がある。現在はあまり話はせんが話をして居る時は大変我々は愉快になるよ。そうすると皮肉家じゃないかもしれんと云ふ感がある。書く事にしたけれど頭より出ん。先ずは責任逃れとは眞とに恐縮ですがあしからず。これ迄。以上

 

 「感ずるまゝ」                       金木猪三

 今月の評はずぼらしてしまほうかと思って居たのです。悪い考えですね。だがどうしても責任だけは書かねばならぬ事になってしまった、で弱った。それも後藤氏自身から度々の督促ですっかり気の毒をしてしまったので自分で感じて居るまゝちょっと書かせて貰ひます。

 彼氏は他の人の持たぬ固さが有る。だからその固さが彼氏が夜学校生活四年間を持續させた偉大なる処だと思ふ。彼は我々にとても親切だ。自分は夜学校当時一番彼氏の世話になった人間だ。あの当時の事は自分には一生忘れられぬ思い出だ。彼氏は感情家だ。そして吾々に自分の苦しみ樂しみを打明けて語ってくれる。彼氏の生れ落ちるから今迄の身の上話を聞いたとき思はずホロリとさせられた。随分苦勞された事を知った。彼は随分山が好きだ。それ故冬の山及夏の山の地理に詳しひ。都会のごみごみとしそして醜き世間をきらってだらう。彼の特徴としては少々前にそり気味に歩く。笑ふ声は大声に彼氏独特の顔をする様に思ふ。後藤氏よ、悪く思うな、自分の貧弱な頭に感じたまゝに。盲言多謝 生れ付きの悪筆と文章の下手な自分をはずかしく思ひます。諸君の健闘を祈る。

 

 「忠さん評」                        石塚喜明

 忠さんは実にいゝ人だ。その代わり自分が一生懸命やった事に他の人が余り踊ってくれないので淋しくなる事がありはしないか。地の塩は人生の必需品だ。忠さんが地の塩たらんと欲しているかいないかは別として、もっともっと勇敢に成ったら鬼に金棒でせう。間違っていたら許してください。

 

 「忠さん」                         山下芳子

 今度は忠さんの番でしたね。余り知りすぎてかへって分からない。第一印象も何であったか思ひ出せない。唯一、二年の頃水木さんや今の上田さん等とほがらかに騒いで居たのを覚えて居る。私は忠さんばかりでなく、他の男子方も一、二年の時分は名前どころか顔すら分からなかった。

 あれは何年の時であったかしら、運動会のリレーの時、忠さんの活躍ぶりには意外であった。(何故って平常の忠さんは少しもそんな人に見えなかったから。むしろ歩き方などは足の悪い人の様に見えた)忠さん悪しからず。それから、折にふれ、山に、川に、天晴れスポーツマンぶりを発揮して居る。今ではこの方面にかけては澤合會の第一人者と聞く。又、スキー等も名チャムピオンらしい。

 御性格は至って穏やか。誰にでも妥協出耒る人。お世話好きらしひ。だけど忠さんよ、御夫人には余りお世話なさらない方がよろしいと思ひます。現代の御婦人は誰からも世話される事を悦ばないそうですから?・・・《この號には後藤忠論以外にも六編の寄稿がありましたが省略いたします。》