十一月二十七日 木曜 九時十五分起床 雪 一時晴後曇

  父に呼び起こされて眼を覺ましたが起きる氣になれない。床の中から外の様子何如にと障子越しに眺むればチラチラ白い物が降ってゐる。とうとう根雪になってしまったな!いやいやながら床を脱けでたのは九時十五分頃だった。隨(随)分寢たものだ。顔を洗ってゐる時に小島さんが家へ遊びにきた。朝飯を食べ了はった時は半を過ぎる事五分なり。新聞も読まないで家を飛び出した。なんたる幸ひぞ、雪が霽れて南の空が青味を帶びてゐるので太陽の光線が雪に反映してマブシイことマブシイこと、眼から泪が出そうにマブシかった。間もなく曇ってきた、南の空も。十一時頃まで降ってゐたやうだったが遽かに陽が出てきて溶け初めた。今日も皈りにピンポンをやった。恰度だれかゝった頃輯集の秋田君がきたので活氣づいた。六時半頃南波、兼平の兩君は皈った。それから益々油が乘って、打つは打つは、八時頃まで一息にやった。永井君が來なかった。南波君が新しいラケットを買ってきた。馬鹿に好いラケットだった。家へかへって夕飯を食べたら九時二十分頃だった。マントの掛紐を切ってしまった。明日三階で寫眞を撮ることに決めた。帽子のやぶれたのを縫った。十二時頃寢につく。

 

 

 十一月二十八日 金曜 七時半頃起床 曇後雨

  倶樂部で僕達部員十四名が寫眞を撮った。ピンポンをやってゐたら佐藤の奴ゴロつき出した。今日まで隨(随)分温和しかったのに此頃又腕が唸りだしたのだらう。当直だった相手は坂卷、永井の兩君だった。暇々にピンポンをやった。永井君と二人で。九時半前に仕事が済んだが十時まで遊んでやった。堀君も遊びに來た。電車通でyu ge(ワイユージーイー)にすれ違った。お母さんと一緒に。赤い顔をして足許ばかり見て歩いてゐた。永井、堀と僕三人だった。一入その話ばかりした。家へ皈って新聞を読んだ、明日のを、七時頃だった。

 五十嵐さんがきて櫛田さんが足を辷らして假橋から落ちてアバラを折ったそうだと知らせにきた。父は後から出て行った。勝つちゃん(弟)が風邪をひいて床についた。七時(午後)僕を誘ひにきた人があったと母が云った。だれだらう?宮野君ではないだらうか。十一時半寢につく。

 

 

 十一月二十九日 土曜 九時起床 曇後晴

 きのふ暮れ方から降った雨は根雪と思はれし雪を大半溶かしてしまった。おかげ様で路の悪いこと、でも朝はさほどでもない。十時半から三階で勤続者の表彰式があった。東理事長が社の現業を述べた。今年は十年勤続者七名だけであった。仕事が済んでからピンポンをやったがさっぱり駄目だった。勘定日だった。ピンポンの會費を拂った。岩淵君と一緒に南一條通をかへった。吹く南風は暖かくて雨がポツリポツリ顔にあたるのを感じた。今朝九時頃、特科隊の横を通った時自動車ポンプが南の方へ疾走した。後から自動車ポンプが飛んで行った。火事でもあるのだらうか。警鐘は打たなかった。三時頃原稿がきたのに依れば、南七西一に小火があったのですと。母が病気の弟のために柿を買ってきて食べらせた、僕も食べた。

父が平岸の斎藤さんの處から林檎を沢山貰ってきた。十一時十分寢につく。

十一月三十日 日曜《これだけです》

 

今日から又書きたいやうな氣になったので書こうと思ふ

 

 

十二月七日 日曜 九時五分起床 曇後 時々雪後晴

 昨夜錦座へ行ったので疲れて寢過ぎてしまった。なんて此頃九時でなければ起きれなくなってしまった。昨夜は永井君と工藤君と三人で錦座へ行った。長井君は半年振りで觀にきたのだと告白した。社内は日曜なので呑氣千万だった。永井君が躯がだるいと云ってゐた。

大分熱があった、風でもひいたらしい。永井君が今朝こんな話をした。元近所に湯屋をしてゐた一家があった。父は長男が藥餌に親しんでゐたが甲斐なく遂に黄泉の客となった。其の時父は落胆して非常になげいたそうでした。躯が悪くなったので湯をやめて養生したが不運は又父を死に至らしめた。後に残された妻は女五人と男一人を抱へて途方に暮れたが奮起して今日までどうやらやってきたが、長女のお高(廿四)と云ふ女の子がつひこのあひだお嫁入りをしたのでした。母は前から病を患ってゐたが我慢して秘密にしてゐたが、昨日のたそがれ時に死神が病める健氣な母の靈を肉体から引はなして行きました。

十五になる女の子が三人の妹と一人の弟とに取り巻かれてシクシク泣いてゐたそうです。

それ見た附近の人々は彼ら五人の兄弟のために一掬の涙を流さないものはなかったそうです。僕も聞いて泣きました。心の中で泣きました。なんと云ふ呪はれた一家でせう、今後どうなるでせう?。とみえ君から札幌劇場の札を貰ふことを約した、永井君と二人で。工藤君が今日原稿を分けた。五時五分位前に仕事は終った。岩淵君と一緒に丸井の三階のリリー石けんのポスターを見に行った。出口でリリー粉石けんを一凾貰った。こんなんならもっと早く來るんだと思った。成るほど三度だ、丸井に入ったのは。だが今日限りだ。

家へかへったら鍛治さんがきてゐた。今しがた山本君がきたそうだ。夕飯を食べて學校へ(遠友夜學)行って聞いて見たがゐなかったので早速若葉幼稚園へ行った。梅田(光)、山本、西塚、谷田の四君等にあった。七時から初まった。山本、西塚の兩君が辧論した。最後になるにしたがってや次もなくなった。最後に討論「禁酒法案の可否」があった。結局三十七票對三十四票にて否決された。「雀を世界から駆逐するの可否」これは時間がなかったので遂に保留された。終ったのは十時半頃だった。家へ皈ったのは十時五十分頃だった。

妹がまだ炬燵で本を読んでゐた。月が出てゐて馬鹿に凍る冴えた夜でせう。カラコロカラコロと足駄の音が手にとるやうに聞こえる。正宗白鳥作『破壊前』の第一章を読んで寢についたのは零時二十分。

 

 

 十二月八日 月曜 八時五十分起床 雪一時晴後曇

 床から頭を上げて窓越しに外を見ると向かひの屋根は眞白になってゐた。此の分なら根雪になるやうだ。十時半頃薄日がさした時二階から外を見る事が出來なかった、眼がまぶしくて。一時とけるかと思って心配したが間もなく又降ってきた。僕達が皈る頃月が出てゐた。

又降ってきそうだ。西の空が灰色になってきた。勝ちゃん(弟)が眼を患って今日仕事を休んだ。家へ皈ったら石屋さんがきて仕事の儲け話をしてゐた。夕飯後新聞を読んでから湯へ行った。湯はもさに熱かった。ストーブの傍で昨夜の続き『破壊前』を読んだ。

宇野浩二作『兄弟(或る人間の手記)』は氏の苦闘時代で最も苦しい時代の物語でした。

白痴に近い兄、老いたる母の二人の世話を焼いてゐる焦燥した心持をよくえがいた悲しい作でした。氏には珍しいセンチメンタルな作です。細川さんがきた。間もなく鍛治さんもきた。種々な話を父としてゐた。雪は三、四寸積もった。雪が降ったので外は馬鹿に明るかった。月が出てゐるのだもの。十一時半頃寢につく。けふから新母型詰をやった。

 

 

 十二月九日 火曜 八時二十七分起床 晴後一時曇

 今朝は稀に早く床を出た。外はもう雨だれがたってゐて空には一片の雲だに見出すことが出來ない晴天だった。暮れ方になった頃、俄かに風が吹いてきた。南の方からなまあたたかひやうな冷たいやうな風が吹いてゐた。皈りにピンポンをやってきた、六時十分まで。其足で永井君と狸小路の古本を買ひに行ったがゐなかったので、狸小路古本屋で十分ばかり素見したが出口で別れた。持ち合わせが六銭しかなかった。さっぱり雪はとけなかったが雪の表面がしばれてテカテカになってゐた。家へ皈ったのは七時五分だった。『山の生活にて』志賀直哉氏作のを読んだ。風は益々はげしかった。ウーウーある時強くある時低く悪魔の声のやうに。鼻風邪をひいてしまった。右の方がいくらかんでもぐずぐずたまってゐる。九時十五分頃寢につく。

 

 

 十二月十日 水曜 九時二十五分起床 曇後一時大雨後大雪

 九時半近くまで寢てゐた。ゆうべの大風も今朝は平靜に復した。なんとなく暖かゝった午後一時頃に大雨になった。此の分で行ったら雪がみんなとけるだらうと思ったが雪になったのは二時頃だった。ふるはふるは底が抜けたやうな大降りだ。大粒なぼたぼたした雪だ。五時頃までに小降りになった。此間四時間にして一尺二寸、一時間三寸平均で降った。

とうとうほんとうに雪の北国になった。五時前後して近所の電氣と一緒に二回消えた。

十分位宛。電線が不通になった。此の雪だものあたりまえだよ東京電報が。市内の大部分で故障があるやうだ。皈りは珍しく芳江さんや南部さんや岩淵君と四人だった。永井君と工藤君と三人でプログラム(活動)を集める事になったので勝ちゃんから各館のプロ四十枚を貰った。永井、工藤の兩君に見せたら驚くだらう。家では武ちゃん(二番目の弟)が玉指《?》をやってサッパリ上がらないものだから皆んなにひやかされた。そうすると、又父や弟、妹達が又ふきだしながらひやかす。母も笑ってゐた。こんどはやる度び毎上がるので今までひやかされたので鼻の高いこと高いこと、みんなアッケにとられてしまった。自分も夕飯を食べながら笑った。今朝一中校の近所に身長五尺余の熊が現れたので、警察署員や登校の生徒達が遠巻きに取りまいてしまったので射殺してしまった。此熊は停車場通の斉藤某の所有物であることが判明したが、熊は屠殺場附近に飼ってゐたものだが檻を破って逃げだしたものであると、別に被害はなかったそうだ。重量は三十メ、年は三才の牝であった。今夜はなんにもしないでしまった。九時四十分頃寢につく。