一、略歴

明治四十年(1907) 後藤家長男として誕生、十人妹弟(内一人は夭折)

 大正八年(1919) 尋常中央小学校卒業 北海タイムス社に入社

 大正十三年(1924) 日記あり、それによって当時の彼の生活、札幌の様子がわかる

 昭和二年(1927) 21歳 遠友夜学校中等部入学 一年から四年まで級代表 冬山スキーを始める。倫古龍會幹事、弁論にも登場。(倫古龍會日誌第三集より)

 昭和六年(1931) 2.11.遠友夜学校卒業 澤合會結成 月に一度雑誌『澤合會』発行

            尚、澤合會の命名は髙倉新一郎先生

 昭和九年(1934) 9.10. 北海タイムス函館支局へ出向パーティー行われ12日出発

1.1  三ヶ月ぶりに帰札

4.8 水木芳子さん(大正二年生まれ、遠友夜学校二年まで在籍)と郷里にて結婚。郷里は山形?戸籍は岩手県

4.19. 家で披露宴(招待メンバーは旭・上田・横山・谷口・高木・笹木・吉田・大坊・中村・桝谷・金木・森下) 

 昭和十一年(1936) 12.26. 長男誕生 父母の一字を取って忠芳と命名

 昭和十三年(1938) 6.12. 次男誕生 捷裕(かつひろ)と命名

            半澤代表在職十五年記念式典の開会の辞を務める

 昭和十四、五年(1939、1940)北海タイムス印刷・活版部に所属

 昭和十七年(1942) 新聞社の統一 北海タイムス中心に北海道新聞社できる。この後3~6ヶ月シンガポールへ通信員として派遣。

 昭和二十四年(1949) 43歳 工務局(後の制作局)植字課長

 昭和二十五年(1950) 5 株式会社北海タイムス社と正式に改名

            雪印種子工場で三年働く、この時に右手親指二センチほど切断

 昭和二十八年(1953) 北海タイムス社に再就職

 昭和三十七年(1962) 55歳で退職 引き続き嘱託として働く

 昭和四十五年(1970) 63歳で嘱託退職

 昭和四十六年(1971) 体調崩し洞爺の病院で静養

 昭和四十八年(1973) 逝去 享年66歳

平成十二年(2000) 芳子逝去 享年88歳