16.茶封筒 参銭切手 豐原3.8.4消印

 宛先 札幌市南四条東四丁め 遠友夜學校中二、青木先生、外クラス御一同

 差出人 北海道帝国大學文武會(印刷)豊原ニテ 大槻 三日

 今日大泊から豊原への車中走り書きをして豊原で投函したのでしたが、今夜豊原で泊まりましたので就寝前一寸通信します。樺太ではイチゴが今食べられるので驚きました。家の構造のロシヤ造りなのが目新しいものの一つです。豊原の道路の良い事、また大泊は小樽、豊原は札幌、その様な感じが万事の点-道ゆく人の足どりにさえみてとられます。フレップ羊羹、フレップ酒、フレップ云々とフレップで名物独占し、の形です。フレップ羊羹は食べましたがかへりにお土産に持参出耒るかもしれません。持ってかへれぬ時は味だけを僕のこの舌の、この先のところにしまって持っていきますから、呵々。

 豊原青年団の歡迎大したものでいたみ入ってゐる次第です。会場、宣傳、宿所、明日の眞岡行自動車等々一切やってくれて、今日は自動車で街の中を廻り、辻々でメガホンでどなって―あの僕の恐ろしい蛮声で―ビラを撒くといふやり方で、夜は札幌にもないやうな景徳寺といふ素敵に新しい広壮な寺院でやりました。大した盛会で、先月高商(小樽)で教授付でやった講演の何倍か会衆あったそうです。七時から四人の一行頑張って十時半までやったんです。実際愉快だったです。明日は眞岡まで自動車で送ってくれるそうな。折角ヤマベ釣るつもりを残念しましたよ。けど、こんな夢の様な好都合って何時も、そして何処にでも轉がってゐるよう筈はなく、明日は眞岡で寺に泊まるか、小学校の軒下にねるか先々未完です。ともかく元気で出耒るだけ島内を歩きまわりたいですが、どうなるかまだコース不完。とまれこれで第二信。氷水でみんなポンポンをこわしちゃ駄目ですぜ。豊原ニテ 大槻

 

 

17.郵便はかき(左から右へ)壹銭五厘 樺太3.8.6消印  

  宛先 札幌市南四条東四丁め 遠友夜學校 中二クラス御一同

  差出人 カラフト豐田ニテ 六日正午 大槻

 大泊、豊原、眞岡、と連日シャベっては旅をする。ノドと体がヘタばります。一昨日は眞岡から野田へ早くやってくると、丁度日曜であり、且丑の日とかで折りよく海は凪ぎ、野田町の海岸正に、美しき人で芋を洗ふやふ。一行も、とも角夜の開会まで一時海へとびこむ。銭凾以耒はじめてのヂャブヂャブ。ここは海岸に石ころ沢山ありて、昆布その他の海草多く従って沢山のウニがとれ、首ッ玉まで水に入って足先であのウニのヂャカヂャカのいたい奴を探して、ぺロリもぐって四ッ五ッとれる。早速海岸でこれの試味をやる。ウニの味よし。天利、地利、時利を得て、野田は豊原に次ぐの盛会。これより野田から発動キで泊居へ、そこで今晩(六日)やり、七日は歩いて名寄へ出てやり、八日又歩いて久寿内でやり、九日はカラフトの地峡を横断して東海岸に出て元泊でやり、出耒れば十日知取、十一に敷香とやる予定。大元気御安心あれ。

 

 

18.郵便はかき 壹銭五厘 3.8.20消印 

宛先 札幌市南四東四遠友夜學校 青木先生、中二クラス御一同 

差出人 幌倉ニテ 二十日 黙闘

みなさんのヨセ書きうれしく拝見致しました。青木先生を中心にたのしさうに集ひよって勉強してゐる様子がみえるやうです。僕も早く札幌へ行きたいと思ってます。毎日單調な-人生漫談、その他いろんな議論を戰はす事、それが目下の余暇生活の大部分です。昨日も今日もヂリヂリの下で測量-といふと大袈裟ですが最も簡單な平板をやりました。昨夜、唖教育及びその実演をラヂオ放送で聽取して深く感ずる所がありました。あの不具者に目を以って耳と目の二ッの働きをさせて一人前に話をさせるに至る。その教師の努力!それは大きなる愛の力でなけりゃ出耒ない事です。あの熱と誠を思って頭が下がったのです。またその小供等の根気。僕達はほんとに心を決しなければならないと思ひます。出耒ないんでない!しないんだ!!さう思ひました。廿四、五日頃かへれるかと思います。更にも一同御元気で。

 

 

 

19.白封書 壹銭五厘切手二枚   石狩瀧川3.8.15消印

 宛先 札幌市南四東四丁目 遠友夜學校 中等部二年級一同

 差出人 瀧川町字下幌倉 小林 クマ様方 K.O   八月十壱日

 みんな丈夫で勉強している事と思ふ。もう八月も十五日になる。夏休み夏休みって随分この休みには期待をかけるものなんだけれど、すでにその休みが半分過ぎた。今顧みて何をやってゐるか?グルグルとカラフトを駆けめぐっただけのものだ。勉強しなさい等と皆んなに言った手前お恥しい次第です。けど、だいぶカラダも正常状態にかへったしそろそろやり出そうと思ってゐる。刺激もないがまた気の散るという事もなく淡々とした生活を続けてゐる。自炊も樂しいことの一ッです。御飯もなかなかうまくたけるし、おかずだって決して人後に落ちん。家事とかを習ってゐる人達に敢えて負けない自信があるよ。只し、御飯の後始末はあまり感心したものではない。 

 ひるは札幌に劣らず暑いだらうと思ふが、夜はそれは涼しい。はじめ此処へ耒た当時はキリギリスの鳴く音がめずらしくって取って耒て家へ持ってきて籠にいれて置こうと思ったけれど今ではその必要もないのを知った。わざわざ彼らの生活を乱して人間の樂しみを充たさなくても黙って家に居ながらにして、また寢ながらにして、鳴く音が聞こえるのだから。田圃にだけゐると思ったのがすぐそこの庭先に幾匹もゐるんです。今十一時半過ぎです。今夜宵の口から縁側の戸をガラッとあけッ放しにしておいた所が燈を頼りにトンボが飛んできたには驚いた。今、パタパタ電球の回りをとんでゐるが、電燈のカサやタマにバタバタぶつかってまるで脳震トウ?(盪)でも起こすんではないかと思はれる位です。どこの家でも戸締りなんぞしないことも嬉しい事の一ッです。都会ではどうだ。しんばりを二つもしたりして実に嚴めしい城廓の中に起臥してゐるやうなものだ。

 決してそれは本耒の正常なる生活ではない。どうかして、シンバリなんぞもしないで、働ける限りの若者は働いて、それも自ら進んで働く事にたのしみを感じ、また働かうと思えば皆働く仕事がどんどんあるような―そういふユートピアをもたらしたいものだ。それは人間一人一人がはっきりさう考へるやうになれば、それで大部分解決がつく問題なんだがなあ。そんな途方もない考へはいづれ札幌へ帰って皆んなに遊びに耒て貰った時としよう。明日はこの幌倉小学校の同窓会によばれた。何か御話をといわれて閉口する。同窓生十八、九、二十位の青年、子女を中心に、小さいのは小学生からその妹弟のつまりお坊ちゃん達まで、大きいのは御老人までが耒るんださうで、これでは八方美人になった位では間に合はない。とても出耒ない相談だと思ふ。目新しい事もなく、平凡な、けれど落ち着いた毎日を送れさうです。みんな氷りをのみすぎてポンポンをこわさぬように。また、ほら、すぐそこの橋のそばでドンドン、ドロドンあーあ、なんぞとうた声が聞こえて耒るだらうが、一ぺん位の見物はいゝかもしれんがあんまり食傷しないように。

 この炎熱→東京あたりぢゃ凄いのだがそれでも汗だくで、夏期講習に通ってみると満員の苦学生等は実に眞剣に勉強しているのだよ。彼等の机には何が書いてある。「先ず寒暑を征服せよ!!」で、体をこわさぬようにポツポツ調べてゐて貰いたい。

 

 

20.茶封筒 

  宛先 遠友夜學校中等部二学年級諸君江

  差出人 北海道帝國大学(印刷)農業經濟學教室(印)Sinitiro Takakura(筆記体)

 「一寸先は闇」と言ひますが、人間程解らないものはありません。僕は今、僕の周囲に襲って耒つゝある「死」に戰慄して居ます。尠い姉妹の内・・・唯一の姉がもう絶望の状態に陷って居るのです。昨夜は危篤の報に接して駆けつけ・・・一夜枕頭に侍って耒ました。漸く・・・今の處では小康を得ましたが、この小康が、次に耒る暑さのために又滅茶滅茶にされないかと恐れます。それ程衰弱がひどく、又それだけ死の魔の手が近づいて居ます。夏休みこそ・・・平生怠け勝ちの私が皆と一しょに勉強し・・・、殊に廿二日の海水浴は頚を長くして待って居りましたのに・・・、全くそちらの方を断念しなければならなかったことを本統に残念に思ひます。

 試験もこの調子だと私が行けないかも知れません。・・・が英佛独の三ヶ国は殊によく調べておいて下さい。直面して怯える奴は馬鹿かもしれません・・・。然し周囲に次第に「死」の魔の手が私陷の近親友達を奪ひつゝあった時に、客觀視して居た私が・・・目前に「死」との白兵戰を演じて居る、病人の息づまった喘ぎを見、絶望にあり乍も「生」を求めて止まない人間の執着を視た時に・・・恐ろしい人生の一面を見取って深く考へさせるものがありました。宗教と言ふものはこうした時に必要なのだ・・・とも考へました。唯死の前にひれ伏して・・人間力以上のものを姉に一任するより外にはありません。何より諸君の健康を祈り、そして私が貴方達と約束したことを実行出耒なかったのをおわび申上げます。 

  十九日朝

 

 

21.郵便はかき 壹銭五厘 秋田二ツ井3.11.1消印

 宛先 札幌市南四條東四丁目 遠友夜學校 中等部二年諸君

 差出人 秋田荷上場にて―信一路―

 《上に「きみまつ坂より」の文字とスケッチ(省略)あり。下に文。》

 昨日飛脚の如き速力にて秋田市見物・・その日直ちに又引きかへし申候。小生滯在中の荷上場村は能代川の流域の一村にて附近に明治天皇御駐轡(?)の地「後石坂」を控へ、稻田広く、柿赤く、水清き風光明媚なる農村に御座候。「後石坂」は「キミマツ坂」と唱へ能代川と藤(?)琴川との合流点・・小峠にて奇巖怪松、紅葉その間を点綴し、その下の碧淅を軽舟の三々伍々下り行く景・・さながらの画に・・詩に候。小生も思はず画癖を起こして書きなぐり候が、このスケッチには候。

おなぐさみまで・・・