前略 去る三月二十二日道新に中川氏のお写真入りで遠友夜学校の記事が載せられてあり、非常にお懐かしく拝読いたしました。

 私は小学校のみ全日制で卒業のその年に、遠友夜学校の高等科に入学、大正十二年に卒業させていただき感謝で一杯でした。卒業時は十二、三歳でした。お姉様、お兄様のお仲間に交じりながら真剣でした。そのときの先生のお名前は茂木先生、宮城、荒木、小泉の諸先生でした。その当時の先生では、半澤洵先生を初めといたしまして、館脇先生、菊川先生等々の先生のお名前も記憶におぼろに思い出されます。髙倉新一郎先生、須田政美先生のお名前も浮かびます。このお二人の先生もつい先年お亡くなりになられ残念です。昭和十九年に閉校になりましたことは道新で知り、その後、五十六年発行の『遠友夜学校』を拝見しました。いずれの時も連絡が取れなかったのでしょう。寂しく思いました。

 同封の写真を送ってくださいました方は、その頃、学校の種々の連絡その他お世話をなさっておいでの方です。私はお目にかかったことはございません。この写真に私も写っておりますが、うかつにも送付くださいました月日も何も記入することを私が忘れたものと思います。友人二、三人と前列に半澤先生、菊川先生が見えます。このようなわけで何の参考にもならないと存じますが一応送付申し上げました。なお、返送用封筒を封入いたしましたので面倒でもよろしくお願い申し上げます。

《坂根氏は『思い出』に寄稿されております。題は「遠友の卒業は生涯の誇り」です。》

 長女であった私は小学校を卒業と同時に、遠友夜学校へ入学を希望していましたので自分で手続きをいたしました。当時十二歳か十三歳ぐらいだったでしょうか、ミルク会社が家の近くでしたから、すでに働きに行っていました。当時の世相は大変不景気な時代であり、大学を出ても職がなく、暮らしは楽でありませんでした。私は大正十一年(1922年)に遠友夜学校高等科一年に入学しました。筒袖の綿入れに教科書と鉛筆を風呂敷に包み背負って一人で登校しました。お兄様やお姉様とお仲間になって授業が始まります。みな仲良く助け合いながら学校へ通うことが一番の楽しみでありました。この思い出ははっきりと胸の奥に残っております。授業中、時々居眠りも出て、つつかれて笑い合う場面もありました。今も記憶に残る先生は宮城、茂木、荒木、小泉の諸先生。この四人の先生方のうちお一人だに昨年の記念式の折、お目見えになりませんでした。

 私の人生にとって遠友夜学校を知った、学んだことは艱難辛苦に耐え、くじけることなく最後までやりぬくという気迫を教えられたことです。今も万感の思いを込めて、いずれの学校より本校を卒業しましたことを生涯の誇りといたしております。遠友精神の尊さ、深さを感謝し、寂しい時は「学問より実行」の碑に面会に出かけております。

現代を生きる青年は科学と文化の渦中にあるものと思われます。世界と並ぶ優れた国家を目指し、健康にご留意のうえ楽しい日本国を築いて頂きたい。

《大正十一年、十二年高等科在籍》