銭凾海水浴③昭和七年十二月二十三日発行の『遠友魂』には「七月二十四日!弁論部創立以来未だ例のない夏季弁論大会が銭凾海水浴場で開催された日なのだ。二、三年前より企画されてゐた事であったが今一歩という処で水泡に帰してゐたのである」

昭和十四年十月中旬発行の札幌遠友夜學校學期報『遠友』の中に「・・・夜行隊三十六名は自轉車隊四名と共に・・・」とあります。《海水浴に弁論大会を加えるとか夜行隊に自転車隊が加わると言う事があったのです。

 

銭凾海水浴④ 参加生徒の感想文

  「思ひ出せば」  中二  中津猛昭

    歓喜!乱舞!時恰も青葉滴らんとする初夏。青春の氣横溢せる若人が眞の喜、眞の憧れを抱いて希望の海、銭凾の海水浴場へ飛び行かんとする喜、此の喜こそ眞に思出深き夜學校時代の一片を後世物語るものでなくてはならぬ。勇ましき夜行隊が銭凾行きのトップを切って・・・明くれば朝日萃やかに吾等を迎へ、陽の躍如として波打朝霧を突いて樂しき憧れの第一歩はエルムの都を後にして・・・汽車は憧れの海水浴場へと驀進又驀進、札幌近くの廣々たる平野も山川の彼方に没し汽車は何時しか銭凾附近の峠のふもとを走る・・・間もなく駅に着く。駅には先生及び夜行隊の連中が出迎へに來て居た。ザックザック凄く熱した砂の上を踏みしめながら玉の様な汗をかき天幕めがけて白雲一つだになき青空。海か空か見當がつかぬ日本晴。人を射る陽の光。此の景色此の感情こそ誰人か筆を揮ひ詞を盡す事が出き様、興趣勇然!天下の美影は限りなき愛着を秘めてあちこちと集りさわぐ、遊びつかれて天幕に帰ったのは丁度眞晝、皆の連中も歸ってゐた。氣の早いP君最早妹の土産だと何か知らぬが風呂敷包みを持ってくる「如何にもそれは兄貴の愛であることょ」だ。晝食も味が出た。一時半頃船乘りに出かける。A、B、C君に吾輩の四人船は軽く沖を目がけて走る。  

   ハァ佐渡へ佐渡へと草木も靡くよ

 佐渡は居良いか住み良いか

   來いと言たとて行かりょか佐渡へよ

 佐渡は四十九里波の上

 讀者「丘を越へてゞも歌って櫓を漕いだんだらう」

 「そんな時代おくれな歌とチイートちがうぜ」・・・時のたつのは光陰矢の如きとか天幕に帰った一行は帰りの仕度に取りかゝる。丁度其の時札幌から出張の寫眞屋が來る。吾等四人は記念撮影をす。「とても良く撮れますぜ。見たかったら我輩の所まで來るとすぐ見せますぜ」汽車には少々時間があった。我は皆からはなれて砂浜に腰を下ろし心行くばかり水平線上を眺め、樂しく且つ愉快なりし今日の一日を思出汽車の人となった。汽車はカイロカイロカイロと札幌目がけて走った。

一九三三・四・一〇

(遠友魂第八巻第二號 昭和八年七月二十日發行より)