原「私が思うにね、心の教育をしてくださったらいいと思います。これが教育だよでなく、接することをしていく中で身に付けさせて欲しい。私はそういういい触れ合いの中で育ってきたと思うから、皆燃えていました。同じクラスで百何十人いましたでしょ。で、最後に二つに分けて勉強したのですけれども、教える人と教えられる人と一つになれるということね、私は厳しくもないと思うのですが、厳しくもなく私どもがやってこられたというのは、私は途中から怖い思いして勉強叩き込まれたのでね、やる癖はつきましたね、それで卒業するときは何とかね。勤めてても、あっちこっち来てくれと、医学部行ったり農学部行ったりと本当は博物館」

中「博物館の話あったでしょ。忘れました?博物館に去年行った、そのときにその当時の写真があって、写真に載っている人が分からないという時に原賀さんがこの人は誰、この人は誰と言ったということ」

原「そうそうそうでした。名前を言っていくと、へえ、へえ、と言う人ばかりなんですよ。

植物園の園長先生から主任先生から皆存じ上げているでしょ。前のこと言ったら驚いていましたね。それでしょっちゅう電話がかかってきましてね、それを直すために文化財にするというので、その方は驚いていましたね」

中「そのことは全部伝えたわけですね、植物園の人に」

原「植物園の人じゃないのです。東大の文化財とか何かを新しくする人。そのまま保存するところがあるのですね、そこの人なのです。博物館の方は私がいた頃と同じような仕事をしていらした方なんだけれど、その方はお話になかなか入り込めないの。加藤さんという東大の方が直接私に聞いたら、今まで分からなかったことが分かったので、直接話するのでその方は口ですることが出来なくなってしまいましたから、今度あちらにも問い掛けて、あれしようかなと思っていますし、それで加藤さんという方がね、芥川竜之介が博物館にマヨネーズをかけて食べてみたいと言ったくらいだから緑色にしたって言うから、私のあれはね緑色にじゃなくてね、白とグレーとブルーを混ぜた色ですよと言ったのです。黄緑になっていたから、いや芥川竜之介が博物館にマヨネーズをかけて食べたいと言ったから、この萌黄色なんですと言うのです。それはそうじゃなくて博物館の前のローンの色がマヨネーズをかけて食べたいほど綺麗だとおっしゃったのですよ。あまり本気にしていないみたいですよ」

中「それはその通りですよね、きっとね」

原「それでその頃はね、昨日かな、主人と話したのですがローンがすごく綺麗だったの、それで何十人とおばさん達が、三角巾を被ったおばさん達が、籠を持って皆芝生に座って一本ずつ雑草を抜いていくのですよ。そうすると柔らかい柔らかい根が見えないローンなんですね。だから芥川竜之介が博物館の前のローンにマヨネーズをかけて食べたいと言ったので、博物館にかけて食べたいと言ったのではないのです。それはそうなのですよと、電話をくださった時に言ったのですが直っているかどうか、あそこまでやったら直すことも出来ないでしょうし、バチェラーさんのうちもあそこに入っているというし、どこに小屋があってというところまで電話で、よく電話で聞き合わせがきたのですね。話ましたらもっと時間があって、あの時聞いておけばよかったとおっしゃってくださいましたが、北大の付属と言っても北大の学生さんのためにあるようなものですからね。私のいた所は北方文化研究室と言ってアイヌの研究をしていましたし、動物の研究も、だから農学部の動物研究室に手伝いに行ったり、あのスケッチをしていたのです、私。クモ、チョウ、アイヌの彫り物とか、で、医学部に行ったときは摘出した、手術とか解剖したときに出したものをビンに詰っていますね、あの頃カメラとかなかったから、白黒だったですね。だけど色をつけて絵を描いて何か本になさると言うので、そういう手伝いに行ったりなんかしましたのでね、次から次、話を聞かされるとでてくるので、本当かしらこの人というふうに思ったみたいでしたよ、最初は」

中「はい」

原「ここで、主人が盆栽式に埋めてくれたんです。それで実がみのったんです。ココアの

実。実もなったし、こうですよ、とお礼を申し上げるために遠友夜学校を見に行った帰りに(植物園に)寄ったんですね、そうしたら今博物館でね、いろいろなこと分からなくて困っているので寄ってあげてくれませんかと、坪内さんという方がおっしゃって、私はそんなんじゃなくてまっすぐ帰るつもりでいたのですが、じゃあって行きましたらね、いろんな話聞かされ、写真なんか一杯出されて、誰も皆分かんないのね、あ、これは栃内先生だわ、園長先生だわとかね。これは石田先生だわとか皆分かっちゃったのですね。それですごく喜んでくださって、ここにはこういうものがあって、ああいうものがあってということをね、私と犬飼先生とでつくった。前は動かない陳列をしてあったのですね。動かないただ飾ってあるだけ、ところが私が入ってから変えて、湖をつくって水辺に鹿が水を飲みに来るところとかいろんなものつくって陳列したんですね。それでこんなことあったんですかということからいろんなこと聞きだしてくださって、それでまた東京帰ってからも電話くださっていろいろね、話できることなら、と言ってお話してとても喜んでいただけた。私は去年札幌へ行くときに、絶対駄目と主人に言われたの、息子にも駄目だと言われたのです。もし死んでも迎えに行ってやらないよと言うようなあれで行ったんですけれども、はあ、行って来て良かったな、これでもう思い残すところないなと思って、それで学校の写真が一杯あったのですが、それを全部置いて来ちゃったんですね」

中「その件についても昨年、事業会で集めたんです。先ほど話した松井實さんも全部持って行ったんだと、ただ話だけはしましょうということで会ったんです。だからかなりの資料は集まってきていると思うんです。それらはまだ手をつけていないようです。これから誰かが手をつけていくのではないかと思います」

原「それで私の卒業式の写真だけは返して頂いて、松井實さんも出してあると言っていま

したからね、返して頂いて今残っているそこにあった先生方、今ご覧になりましたね、に差し上げようと思っているんです。鈴木先生と酒井先生がいらっしゃらないだけで先生方皆入っているんです。おいで頂いて・・・」

《あと上野までに時間と電車の乗り方について教えていただいて帰ることにしました。》