中学2年で胃潰瘍になった私は,
それから勉強のスピードを下げ,30から40番のあたりを
うろうろしていたことを覚えている。
いよいよ中3になって進路を決めることになるのだが
県下一の高校に進学したかった私だったが,
この学校では,30から40番は,二番目の学校との
境界線いわゆる
ボーダーラインになっていた。
そのとき,
私は,今後どうしたもんかと迷った。
塾の先生は,1番目の学校でも大丈夫だという
学校の先生は,2番目の学校がいいという。。。
そのとき,
母は,こういった。
「1番目の会社は,自分が1番で上がいないから,
そこを維持して越されないようにするのが苦しい。
2番目の会社は,1番目を追い越そうと努力して
過ごすから目標もあって楽だ。」
と。
そのとき父は,こう言った。
「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」
大きな規模の後ろの方にいるよりも,
小さい規模でも先頭にいたほうがいい
ということを伝えたかったのだろう。
確かに入学することはできたかもしれないが,入ってからの
努力のレベルが,また胃潰瘍レベルなのかと思うと
さすが私の親。
納得せざるおえなかった。
このことは,今でも親には感謝している。
ただ、そうはいっても
勉強に命をかけてきた私は、
仕方ないよねで、気持ちが落ち着いたわけでもない。
本当は悔しくて悔しくて。
そんな気持ちを持ったこと、今でも忘れない。
来世こそは,1位の学校に入りたいと思っているが(笑)
こうして,無事高校受験を終え,高校生活がスタートした。
次回
【教育と私⑨】
苦手な教科の再認識と大学受験とおまけ
に続く。。。