教育や学力をつけることをものすごく大事としていた親に育てられた私にとって
学校に行くことは,生きることそのものという生活だった。
1年生のときの先生は,とても優しい若いお姉さん先生。
若いといっても,今の私と同じくらいだと思うが,その当時の私の印象だとそうだ。
教え方も丁寧でいい記憶しかない。
幼稚園から上がった右も左もわからない子供が困った記憶がない
くらいだったのでよっぽど丁寧な先生だったのだろうと思う。
1年生の私の勉強の記憶として
「視写」の宿題をしながら
「この勉強なんのためにしているのだろう。。。。」
という記憶だ。
漢字は,覚えるためと分かっていたが,視写の宿題は,ただ見て
書き写すだけの宿題に何の意味がるのか。全く分からないまま
させられていた。
今になってこの視写という宿題が,書かれたものを正確に書き写す練習
だったことに気づく。
テストで言葉を抜き出すときに,正確に書かなければ正解にならないからだ。
とにかく
1年生は楽しい学校生活の記憶とこの疑問くらいしか残っていない。
担任の先生に,またお会いしたいなあと思う![]()
いよいよ強烈な先生との出会いに突入。
楽しく平穏だった一年生から,
いよいよ2年生になった。
あまり友達と群れて遊ぶタイプでもなかったので,このころ友達といえる人が
いた記憶がない。(笑)友達作りはあまり得意じゃなかったというより、
人と群れなくても一人で楽しむことができたそんな性格だったのかなと分析。
朝早く行くと,
担任の先生が,7時半から,
「ゴキブリマラソン」
というものをしていた。担任の先生の後を走るというものだ。
(長距離が苦手な私からしてみたら,この担任の体力を尊敬する。)
その練習にみなが参加するわけでなく,早くきている子がみんなで走る。
まあまあ活発な子が集まることになる。
そこで,友達を活発に作ることのなかった私も,友達との関わりを作り始めた
記憶がある。競争したり,担任を待っている間に喋ることで,友達になっていった。
そのときの担任だ。
私は,まじめに学校に通い学力もつけ,基本的には,あまり目立たない子だったと
思うが,給食時間にグループの友達としゃべりすぎて一度注意されたのに
まだしゃべり机を外側にむけてつけられた記憶がある。
今まで叱られた経験がない私は,担任の先生にこんな仕打ちをされる免疫がなく,
この世の終わりぐらいショックをうけた。
そして2つ目の事件。「ズンコ」事件。
私の名前は,じゅんこだが,名前を可愛らしく?(わたしには,今でも
そういう思いで言ったと思えない
)
「ズンコ」 「ずんこ」
と毎日のように呼び続けてあるとき
学校に行きたくなくなったのだ。
そのときは,さすがに母に相談して,母が担任に言って
「愛着の思いをもって呼んだんです
」
なんて謝罪もなくこの話は終わった。
しかも家庭訪問では,
「都合が悪くなると笑ってごまかす」
と言われたことも,今でも母親も
「すごかったよね,あの先生」
というくらい記憶に残る思い出だ。
今この二人の先生から思うことは,
担任や先生だからって
何を言っていいわけでもないし
傲慢になってはいけないんだとうこと。
その児童にあった声かけをしないといけないということだ。
そんなこんなで低学年でジャブを受けた私だったが,
5、6年でさらに強烈な担任と出会うとは
このときは,全く知る由もなかった。
次回
【教育と私③】
今でいう体罰教師との出会いと尊敬する教師との出会い
に続く。。。