今日は、私おまめが敬愛してやまない1人のロッカーのお話です。非常に長くなりますがお付き合いくださいませおねがい


彼の事は、何から語れば良いのか。


志村正彦、フジファブリックとの出会いや存在はその後の自分の人生において、とてつもなく重要であり、大切で、とてつもなく大きな大きな存在の方です。


急性期頃に、YouTubeで別のアーティストの音楽を聴いていたら、たまたま流れてきたのが銀河だった。

何じゃこりゃ?このヘンテコだけどめちゃくちゃカッコいい曲!と一気に引き込まれた。それから他の曲も貪るように聞くようになった。


と同時にこのヘンテコだけどめちゃくちゃにカッコいい曲を歌ってるこの志村って人は、もうこの世にはいないと言う事を知り、自分でも驚くほどに落胆した。何故だか悔しくて涙が止まらなかった。

日本に、こんな凄い人が、天才がいたと言うのに。私は知らなかった。

彼が生きてるうちに、ライブに足を運ぶ事が出来なかった事が、ただただ悔やまれた。


彼の事は、おそらく彼が亡くなったばかりくらいの頃に、実は少し見聞きしていた様な気がしていた。フジファブリックと言うバンドの志村って人が亡くなったのか、そっか…くらいの認識だったと思う。初めてその顔をみた時は、たまたまその写真の顔が何か、目が死んでるこの人…みたいなあまり良く無い印象だったと記憶している。


それから数年後に、まさか銀河をきっかけに、彼の作った曲に触れ、その後の自分の人生においてとてつもない影響を与える人物になろうとは、当時は思いもよらなかった。改めて見ると、目がとても綺麗で意志の強い人に見えた。


銀河をキッカケに志村正彦が在籍していたフジファブリックに、正にどハマりと言うには足らないくらいはまり込んで行った。

彼のライブに足を運ぶ事も、新しい曲を聴く事も出来ないのか…私が悩んだりしながらも楽しく生きていた10代や20代の頃、彼は正に生きて音楽と直向きに向き合っていたのである。

それなのに、私は彼の生み出した素晴らしい楽曲の数々に出会えないで青春時代を過ごしてきた事を、これほどまでに悔やんだ事はなかった。


しかしその後の人生においては、楽しい時も、辛い時も、息子を妊娠中の入院中も、この病気になって入院してた時には病院でたまに好きな曲を病棟で流してもらえる日があったのだが、その時もフジファブリックの曲を流して貰った。

とにかくいつも、ただそばに志村正彦と言う素晴らしい音楽家が残した音楽が私の人生にはあるのだ。


だから、彼はもうこの世に姿形はないけれど、彼の生きてきた29年間の全ては、その楽曲に永遠に消える事のない命となり生き続けるのだろうと思っている。現に、若者のすべては色んなアーティストがカバーしている。

もっと他にも良い曲沢山あるから、聴いて!と言いたくなる。

この統合失調症と言う病気そのものも、彼の存在とは切っても切り離せないくらい不思議な体験をしたので、それも病気の症状なのかもしれないけど、世界中どこを探してもそんな不思議な体験した人は自分だけだって思ってるから、病気の症状だとしても、とても幸せな事で。


今日は生きてたら彼が44歳になる誕生日だ。

これからも変わらぬ魅力で私を魅了しつづけてください恋の矢

志村くん、フジファブリック、活動休止だってさ。あなた不在の中で、残された3人は、本当に様々な試練に立ち向かい、戦ってきたのでしょう。

天国から、時にはそばで、見ていたかな?3人の事。ゆっくり休んで欲しいなと思います。また活動再開したくなった時は、きっといつでも皆待ってて、受け入れると思うので。

きっと、志村くんも、ダイちゃん、総くん、加藤さん、お疲れ様って言ってる気がする。


ありがとうフジファブリック!!

フジファブリックは、志村正彦は、永遠に不滅だ!!


お読みくださり、ありがとうございますお願い