訪問下さりありがとうございますウインク


今日は少しばかり暗い、辛いお話になるのですが、私の母は、私が小学生の頃に、精神を病んだ後、自死で亡くなりました。


それからは、急な環境の変化や、突然母親のいなくなってしまった人生にうまく心が追いつかずいたと思います。


一つ前のblogで、認知機能低下についてお話ししましたが、私は母の事があったからかと思うのですが、人生における、大きな決断や、どうなるか分からない状況や物事と言うのがとても苦手になりました。

その後の人格形成において、かなり影響を与えていると思います。


変わらない事を望む一方では、変化を求めている部分もあったりしますが、突然の変化に弱くなってしまっている部分はあります。


家族とも、複雑な事情により、辛い思いを強いられていた過去の出来事から、家族に対しての拒絶反応が出てしまう事もしばしばあります。昔の話ではありますが、家族からの辛い態度や言動に対しての嫌悪や絶望感、トラウマを感じてしまう自分、反対に、大切に思い幸せを願っている自分とで、揺れ動いています。


この辛かった経験も、その後の人格形成の中では色濃く影響しています。


家族を突き放したり、また寄り添ったり、繰り返してしまうのです。


しかし、これは家族だけに限らず、友人関係でも似たような事をしてしまいます。


辛い時に家族に寄り添って貰えないどころか、突き放すような酷い態度を取られていた事からか、辛い時には自分1人で乗り越えるしかなくなり、それが、悲しくも自分を強くさせました。


主人にも、優しい人ではありますが、病気を発症したばかりの頃しばらくは、やはり辛く当たられていました。理解してもらえませんでした。辛さを


私が病気になり、少しずつ、家族や主人は徐々に優しさを見せてきましたが、私はその優しさが信じられなかったり、何か嫌な事を言われると、やはりまた関わりを断とうとしてしまいますし、友人関係も、酷いこと言われたり、理解が得られない、と感じるとすっぱり切り捨ててしまう様な所があります。


友人に至っては、年単位で音信不通になっていました。2度も。

今は、どんな私でも受け止めるしどんな状態の私でも私達は大丈夫だから、と言ってくれています。

主人は、今は一番の良き理解者となってくれて、病気の私ごと、長年の辛い人生の中でこじらせてしまった私を、包み込む愛情で接してくれています。

有難い事です。


今は、家族とのグループLINEには、日頃思ってる事や1日の出来事、嬉しい幸せな事も辛い事、家族に対する色々な思いを吐き出しています。

家族がそんな私を理解していてくれる、のかは解りませんが私の安定してたり不安定だったりする言葉や思いの全てを、家族はただ黙って聞いていてくれています。


家族とか、夫婦とか、友達って、簡単な様で複雑だなと思っています。


辛い事、酷いことを言ったりしてきた人が他人なら、関わらなければよい事ですが、家族だったり夫だったり友達だったりするから悩むのです


私は辛い事もこれまで本当に沢山経験してきましたが、同時に楽しい事や幸せな事も沢山経験してきました。


血の通った人間なので、機械ではないので、完璧な人なんて居ないのかもしれませんが、私は完璧を求めていましたし、それに近い自分になろうと知らず知らずのうちに努力をしていました。辛い経験をさせてきた人達に対する反面教師で


ですが病気になって、完璧なんて無理なのだと言う事がわかったので、今の自分に無理なくやれる事を、出来るだけ楽しみながらやれたらいいなと今は思っています。


私は、幸せになる為に生まれてきたのだと、辛い思いをする為にだけ生まれてきたのでは、決してないのだと、強く感じています。


悩みながら、考えながらも、前に進めたらいいなと思いますおねがい


お読み下さり、ありがとうございますカエルグリーンハーツ