ウキウキ!にぎやかな鶴岡八幡宮の秋祭り ~ 鶴岡八幡宮 鎌倉 【東京・横浜探訪】
TOKYO歴史ミステリーハンター★鈴木
です。
一年の実りを祝い、感謝し、あちらこちらで秋祭りがおこなわれていますね。
鎌倉は、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に訪れました。
八幡様のお遣いの鳩が、鳥居の上でみっしりあつまって羽根をやすませています。
この日は偶然ですが、神社ではお祭りをしていました。
さまざまな団体が、境内のあちらこちらを陣取り、太鼓を披露しています。
人出も多く、太鼓の音がそこかしこに響き、にぎやかで陽気でした。
(=⌒▽⌒=)
更に、七五三のお宮参りの一団が訪れ、花嫁さんもいらっしゃっていました。
めずらしい催し物も見ることができました。
「鎌倉かぐら」です。
ひょうきんな所作で、見物人に愛嬌と、餅をまいていますよ。
(^O^)/
いやー、偶然でしたが、いい日に訪れましたよ。
舞殿(下拝殿)からのぞむ本宮(上宮)です。
かつて静御前が源頼朝にもとめられ舞ったときには、まだなかったそうです。
このとき、愛する源義経を慕う歌を詠みました。
吉野山
峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
これにより頼朝の怒りをかいます。
・・・悲劇の舞台でもありました。
そんな舞殿には、このとき、結婚式が挙げられていました。
こちらは、ご神木の大銀杏です。
樹齢1000年といわれ、鎌倉幕府三代将軍、源実朝暗殺事件の「隠れ銀杏」として有名です。
平成22年(2010)の強風のため根元から倒れ、回復はのぞめないともいわれました。
その後、根元から4メートルまで移植し、倒壊から一ヶ月、若芽が確認されたそうです。
本宮へ通じる「大石段」をあがり、境内をかえりみます。
町並みの遠くまでみとおせますね。
鶴岡八幡宮は、鎌倉八幡宮とも呼ばれ、武家源氏、鎌倉武士の守護神として崇敬をあつめていました。
深まる秋。
みなさんのところは、いかがですか
次回は、鶴岡八幡宮であった源頼朝と静御前の対決。
「女が築いた時代 源頼朝と、池禅尼、北条政子、静御前 」へつづきます。
鳩サブレーはこちらが本家かな?
≧(´▽`)≦
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東北地方太平洋沖地震 チャリティ作品
奈良妖怪大戦争「少年・聖徳太子物語 」
大和郡山 洞泉寺町 源九郎稲荷神社 社伝
「神仏おそれぬ羽柴秀長、 白狐源九郎に折伏される 」
一年の実りを祝い、感謝し、あちらこちらで秋祭りがおこなわれていますね。
鎌倉は、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に訪れました。八幡様のお遣いの鳩が、鳥居の上でみっしりあつまって羽根をやすませています。
この日は偶然ですが、神社ではお祭りをしていました。
さまざまな団体が、境内のあちらこちらを陣取り、太鼓を披露しています。
人出も多く、太鼓の音がそこかしこに響き、にぎやかで陽気でした。
(=⌒▽⌒=)
更に、七五三のお宮参りの一団が訪れ、花嫁さんもいらっしゃっていました。
めずらしい催し物も見ることができました。
「鎌倉かぐら」です。
ひょうきんな所作で、見物人に愛嬌と、餅をまいていますよ。
(^O^)/
いやー、偶然でしたが、いい日に訪れましたよ。
舞殿(下拝殿)からのぞむ本宮(上宮)です。
かつて静御前が源頼朝にもとめられ舞ったときには、まだなかったそうです。
このとき、愛する源義経を慕う歌を詠みました。
吉野山
峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
これにより頼朝の怒りをかいます。
・・・悲劇の舞台でもありました。
そんな舞殿には、このとき、結婚式が挙げられていました。
こちらは、ご神木の大銀杏です。
樹齢1000年といわれ、鎌倉幕府三代将軍、源実朝暗殺事件の「隠れ銀杏」として有名です。
平成22年(2010)の強風のため根元から倒れ、回復はのぞめないともいわれました。
その後、根元から4メートルまで移植し、倒壊から一ヶ月、若芽が確認されたそうです。
本宮へ通じる「大石段」をあがり、境内をかえりみます。
町並みの遠くまでみとおせますね。
鶴岡八幡宮は、鎌倉八幡宮とも呼ばれ、武家源氏、鎌倉武士の守護神として崇敬をあつめていました。
深まる秋。
みなさんのところは、いかがですか

次回は、鶴岡八幡宮であった源頼朝と静御前の対決。
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明日までです! 奈良・町屋の芸術祭 HANARART【源九郎稲荷神社】
おやおや
なにやら、またこちらがにぎやかですね。
(=⌒▽⌒=)
こちら

源九郎稲荷神社のおしらせ

奈良・町屋の芸術祭
HANARART(はならぁと)

東日本大震災・台風12号災害復興支援イベント。
「はな・ハナ・HANA」というテーマに、奈良県で活動するまちづくり団体が協力。
歴史的な町並み地域で開催する、まちづくり型のアートイベントです。
10月8日よりはじまり、30日まで奈良県の各所、
橿原市今井、八木、五條市五條新町、桜井市三輪、宇陀松山、会場をひろげ、
10月22日から、30日のとりを、奈良市ならまちと、大和郡山がつとめます。
大和郡山市では、源九郎稲荷神社が、その会場のひとつとなっています。
おやおや

o(^^o)(o^^)o
なにやらにぎやかな様子ですよ・・・
それは・・・
こちら

源九郎稲荷神社のおしらせ

秋深まる奈良便りです。
(^O^)/
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大怨霊 平将門 東国で崇敬される・・・平将門を訪ねて(4) ~大手町 将門塚 【東京・横浜探訪】
「坂東の炎 平将門の乱」のつづきです。
天慶3年(940)。
新皇・平将門は、平貞盛、藤原秀郷によって討たれました。
首がおとされ、京の都でさらし首となります。
将門の体は、茨城県坂東市に密かに葬られたとあります。
延命院には胴塚があります。
しかし将門を称えるものの声は絶えず、都から胴体をもとめて飛び去ったとうわさがまことしやかに流れたのでした。
そしてその首が力尽きて落ちたとされるのが、東京都千代田区大手町でした。
かつてここに塚が築かれていましたが、関東大震災を機に取り壊されました。
その後に役所が建てられます。
しかし大臣や職員が相次いで亡くなり、将門のタタリとされ、首塚は再建されます。
またアメリカの占領軍が首塚に手を出そうとしましたが、事故が相次ぎ、結果、今も残されることとなったのでした。
・・・
私がそこへ訪れたのは、雨の日でした。
ビルとビルの間にあるのが、首塚といわれる都旧跡「将門塚」です。
すでに先客がいました。
茂みになった先に傘が見えたのです。
ひとまず、近くまで歩み寄ります。
おやっと、思います。
人の気配がありません。
・・・
よくよく見ると、傘は、首塚の石燈篭にかけられていたものでした。
雨にうたれるのが忍びないと思った人が、かけていったのでしょうね。
活けられた華も新しいですね。
休日の官庁街に、ぽつり、ぽつりと、しかし、ひっきりなしに人がおとずれていました。
彼らは、さっとお参りをすると、すぐに去っていきました。
将門は余計な争いを好みませんでした。
敵を破っても、殺さずに逃した情け深いところがありました。
また捕虜を粗略に扱わず、すぐに解放したと伝えられています。
もともと朝廷に対しては謀反の気持ちはなく、かつて仕えていた藤原忠平とも懇意にし、紛争の度に京へ釈明をおこなっていました。
加え、農民たちを大切にしていました。
この評判により、将門の元には近隣諸国からその人柄を慕うものが集まってきたのでした。
悪党・藤原玄明が将門を頼って逃げ込んできたため、常陸国府と対立せざる得なくなったのです。
これによって朝廷に反旗を翻す結果となったと伝えられています。
朝廷の圧政に苦しむ人々が集まり、将門は痛切に感じるようになり、義挙することとなったのではないでしょうか。
将門は都において大怨霊として畏れられていました。
しかし東国では死後も人気を博していました。
朝廷が畏れたのは、平将門ではなく、
東国の民たちの不満が爆発することではなかったのでしょうか。
( ゜∋゜)
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天慶3年(940)。
新皇・平将門は、平貞盛、藤原秀郷によって討たれました。
首がおとされ、京の都でさらし首となります。
将門の体は、茨城県坂東市に密かに葬られたとあります。
延命院には胴塚があります。
しかし将門を称えるものの声は絶えず、都から胴体をもとめて飛び去ったとうわさがまことしやかに流れたのでした。
そしてその首が力尽きて落ちたとされるのが、東京都千代田区大手町でした。
かつてここに塚が築かれていましたが、関東大震災を機に取り壊されました。
その後に役所が建てられます。
しかし大臣や職員が相次いで亡くなり、将門のタタリとされ、首塚は再建されます。
またアメリカの占領軍が首塚に手を出そうとしましたが、事故が相次ぎ、結果、今も残されることとなったのでした。
・・・
私がそこへ訪れたのは、雨の日でした。
ビルとビルの間にあるのが、首塚といわれる都旧跡「将門塚」です。
すでに先客がいました。
茂みになった先に傘が見えたのです。
ひとまず、近くまで歩み寄ります。
おやっと、思います。
人の気配がありません。
・・・
よくよく見ると、傘は、首塚の石燈篭にかけられていたものでした。
雨にうたれるのが忍びないと思った人が、かけていったのでしょうね。
活けられた華も新しいですね。
休日の官庁街に、ぽつり、ぽつりと、しかし、ひっきりなしに人がおとずれていました。
彼らは、さっとお参りをすると、すぐに去っていきました。
将門は余計な争いを好みませんでした。
敵を破っても、殺さずに逃した情け深いところがありました。
また捕虜を粗略に扱わず、すぐに解放したと伝えられています。
もともと朝廷に対しては謀反の気持ちはなく、かつて仕えていた藤原忠平とも懇意にし、紛争の度に京へ釈明をおこなっていました。
加え、農民たちを大切にしていました。
この評判により、将門の元には近隣諸国からその人柄を慕うものが集まってきたのでした。
悪党・藤原玄明が将門を頼って逃げ込んできたため、常陸国府と対立せざる得なくなったのです。
これによって朝廷に反旗を翻す結果となったと伝えられています。
朝廷の圧政に苦しむ人々が集まり、将門は痛切に感じるようになり、義挙することとなったのではないでしょうか。
将門は都において大怨霊として畏れられていました。
しかし東国では死後も人気を博していました。
東国の民たちの不満が爆発することではなかったのでしょうか。
( ゜∋゜)
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