キツネのタロさん ― 葛城きつね(4) ~ 【葛城のむかしばなし】より
狐、狸、狢が人にイタズラするお話は枚挙に暇がありません。
ですが、狐はイタズラするものばかりではなく、お稲荷様の使いとして祀られていますね。
キツネのタロさんは、そんなキツネの神様です。
ただし、このお話は民話ではなく、ちょっと昔まで本当にあったことだそうです。
二月の第一回目の午の日を初午(はつうま)といいます。
昔、初午の日に、京都の伏見稲荷神社に祭神が降り、それ以後、稲荷社のお祭りとなりました。
葛城の竹内では、どこの家でも神棚に山海のもの、お神酒や洗い米、旗飴などをお供えしました。
ときに「お台さん」と呼ばれる不思議な力をもつ人が「稲荷下げ」を行われることがありました。
稲荷下げとは、お台さんに狐がのりうつって、いろんなことを教えてくれるのです。
竹内のお地蔵さんの横に住むキツネのタロさんは、お台さんをつとめる長尾のおばあさんによくのりうつったそうです。
ある年の初午の日のことです。
長尾のおばあさんが、竹内のある家に招かれて稲荷下げをしました。
お台さんが祝詞をあげると、キツネのタロさんがのりうつって言いました。
「わしは四つ辻のお地蔵さんの横に住んでいるキツネで、タロさんというんや。
聞きたいことがあったら、何でも遠慮せんと言うてみ」
そこで主が、
「息子が戦争に行ったまま、何の連絡もないんですわ。どうしているのやら、心配でたまらんのですわ。」
「あんたの息子は、かわいそうにサイパンで弾にあたって死んでもうた。胸にあたってどうにも助からんかったんや」
それからしばらくして息子さんの戦死の知らせがあったそうです。
その様子は、長尾のおばあさんが話したこととぴったり合っていたということでした。
ほかにも、なくしたものや病気のことなど、何でもびっくりするほどよく当たりました。
その後、この長尾のおばあさんが亡くなってからは、ほかにお台さんになれる人が見つかりませんでした。
初午の日の稲荷下げも、お台さんがいなくなってからというものの、いつの間にやら稲荷下げを知る人もいなくなりつつあります。
けれども今でも竹内の人びとは、狐のタロさんのために、お稲荷さんにお供えをしているとのことでした。
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キツネのタロさんは、そんなキツネの神様です。
ただし、このお話は民話ではなく、ちょっと昔まで本当にあったことだそうです。
二月の第一回目の午の日を初午(はつうま)といいます。
昔、初午の日に、京都の伏見稲荷神社に祭神が降り、それ以後、稲荷社のお祭りとなりました。
葛城の竹内では、どこの家でも神棚に山海のもの、お神酒や洗い米、旗飴などをお供えしました。
ときに「お台さん」と呼ばれる不思議な力をもつ人が「稲荷下げ」を行われることがありました。
稲荷下げとは、お台さんに狐がのりうつって、いろんなことを教えてくれるのです。
竹内のお地蔵さんの横に住むキツネのタロさんは、お台さんをつとめる長尾のおばあさんによくのりうつったそうです。
ある年の初午の日のことです。
長尾のおばあさんが、竹内のある家に招かれて稲荷下げをしました。
お台さんが祝詞をあげると、キツネのタロさんがのりうつって言いました。
「わしは四つ辻のお地蔵さんの横に住んでいるキツネで、タロさんというんや。
聞きたいことがあったら、何でも遠慮せんと言うてみ」
そこで主が、
「息子が戦争に行ったまま、何の連絡もないんですわ。どうしているのやら、心配でたまらんのですわ。」
「あんたの息子は、かわいそうにサイパンで弾にあたって死んでもうた。胸にあたってどうにも助からんかったんや」
それからしばらくして息子さんの戦死の知らせがあったそうです。
その様子は、長尾のおばあさんが話したこととぴったり合っていたということでした。
ほかにも、なくしたものや病気のことなど、何でもびっくりするほどよく当たりました。
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