モリ神さまの信仰とタタリ ~ 生駒谷の七森信仰
森を神聖視する信仰は、日本の各地に存在します。
現代においても、町や村、山村に手つかずといわんばかりのこんもりとした森がありますね。
うっそうと木々が生え、神秘的な雰囲気をかもしだしていたりします。
かつてのモリ(森、杜)神様の名残で、道の真ん中や、公園の隅などに祠があったりしますね。
原始的な信仰の対象として、モリを神聖視して、鎮守の杜の中にある神社は、もともとはモリ自体を信仰し、その目印として石碑や社、祠をたてたのが順番になります。
各地のモリ信仰には、みだりに森のものを伐るとタタリがある、場所によっては立ち入ることを禁じている場合があります。
生駒には、かつて生駒谷十七郷と呼ばれていた集落群があります。
それが以下になります。
西畑、藤尾、萩原、小平尾、乙田、小瀬、壱分、有里、大門、鬼取、小倉寺、菜畑、山崎、辻、谷田、俵口、小明。
町の文献史料や古い地図をひもとくと、
それぞれの集落には、固有の七つのモリがあり、「モリさん」などと呼ばれていました。七つのモリを祀るという特異な形態で、「七森信仰」というものが存在していました。
七森信仰の起源
生駒谷十七郷の惣鎮守の杜、おそらくこれらのモリの総元締め的な存在が、往馬大社(生駒神社)です。
古代からそこに住まう精神的支柱として、大きな影響力を与えていました。
古くから往馬大社には、比古神、比売神の二柱・二坐が祀られていました。
中世には八幡信仰を受容し、五坐が加えられ七柱の祭神が祀られるようになりました。
それに生駒谷十七郷もならって、村内の七つのモリを選び七森信仰を成立させたのではないかと推測されます。
モリの特徴
それぞれの村や、モリには固有の信仰や伝承があります。
存在として系統的に以下に分類できます。
雨乞い
雨乞いに関しては生駒谷十七郷がひとつになって、
谷田、山崎、藤尾、乙田で行われていました。
しかし、モリの信仰と雨乞いの関連については不明。
虫送り
初夏に稲の害虫を駆除する農耕儀礼。
日暮れに松明をつけ村境のモリの側まで虫を誘い、虫を退治します。
カンジョウ縄掛け
村境から侵入する疫病や悪霊を防ぐカンジョウ縄掛けをおこないます。
モリが集落を守護すると信じられていました。
元服祝い
若者の元服祝いにモリを御参りします。
なんらかの信仰の対象
小瀬では金毘羅さんを、藤尾ではミーサン(白蛇)を信仰していました。
西畑では往馬大社の分社を祀っています。
中には民間信仰や、信仰の対象が不明なものもあります。
信仰の対象が不明であっても、定期的にお供えなどをしたそうです。
古代の戦争の戦死者の供養
神武天皇や神功皇后伝説をはじめ、古戦場跡の霊を供養するモリ。
谷田にはナガスネヒコに敗れた神武天皇側の戦死者を葬った場所が伝えられています。
モリのタタリ
モリの特徴は、村々によって異なります。
しかし生駒谷の集落で共通しているのは、
「むやみにモリに近づいてはならない。」
「モリの木、枝一本といえど伐ってはならない。」
といった厳しい禁忌でした。
その禁忌をやぶったものには、激しいタタリをうけるということです。
谷田の枯れ木の森
その昔、
「立ち枯れた真っ白な大木がそびえたっていて、
下の村もよく見えた」
という言い伝えから、その名がつけられたといわれています。
ここでは枯れ葉一枚でも持ち帰った者は、激しい腹痛におそわれると信じられていました。
谷田の北原の森
昔、お参りに来た老婆が誤って燈明を倒してあやうく火事になるところでした。
老婆は家に帰りつくなり目が見えなくなったそうです。
またモリの参道を壊した人の家では次々と不幸がつづいたそうです。
辻の堂峯(どむね)の森
堂峯の森は、阪奈道路の建築工事で破壊されました。
祀られていたお地蔵さんだけをガーデンハイツ28棟の東側に遷されました。
当時は、タタリがあると反対運動があったそうです。
ところがこのモリがあった周辺は直線コースで見通しがよいにも関わらず、交通事故が多発しました。
地元のひとたちは「モリさんのタタリだ」とうわさしたそうです。
小明のモリ(モリの名称不明。)
こちらでは、少し変わった言い伝えがあります。
止むえない事情がある場合には、モリのカミさんに許しを得て木を伐っていました。
ただし伐った者が木を使用してはならず、
他所の家にあげて、もらった者が使用してもよいとのことです。
ざっと紹介したところでもこれだけの伝承がのこされています。
しかし中にはすでに伝承が失われ、そのモリ自体が失われているケースも多々あります。
急激な都市化が進み、住民の意識が変化し、モリに対する信仰が次第に衰微していったのでしょう。
生駒関連記事
>わたしの生駒。役行者と空海が愛した生駒山。生駒信仰と伝説
現代においても、町や村、山村に手つかずといわんばかりのこんもりとした森がありますね。
うっそうと木々が生え、神秘的な雰囲気をかもしだしていたりします。
かつてのモリ(森、杜)神様の名残で、道の真ん中や、公園の隅などに祠があったりしますね。
原始的な信仰の対象として、モリを神聖視して、鎮守の杜の中にある神社は、もともとはモリ自体を信仰し、その目印として石碑や社、祠をたてたのが順番になります。
各地のモリ信仰には、みだりに森のものを伐るとタタリがある、場所によっては立ち入ることを禁じている場合があります。
生駒には、かつて生駒谷十七郷と呼ばれていた集落群があります。
それが以下になります。
西畑、藤尾、萩原、小平尾、乙田、小瀬、壱分、有里、大門、鬼取、小倉寺、菜畑、山崎、辻、谷田、俵口、小明。
町の文献史料や古い地図をひもとくと、
それぞれの集落には、固有の七つのモリがあり、「モリさん」などと呼ばれていました。七つのモリを祀るという特異な形態で、「七森信仰」というものが存在していました。
七森信仰の起源
生駒谷十七郷の惣鎮守の杜、おそらくこれらのモリの総元締め的な存在が、往馬大社(生駒神社)です。
古代からそこに住まう精神的支柱として、大きな影響力を与えていました。
古くから往馬大社には、比古神、比売神の二柱・二坐が祀られていました。
中世には八幡信仰を受容し、五坐が加えられ七柱の祭神が祀られるようになりました。
それに生駒谷十七郷もならって、村内の七つのモリを選び七森信仰を成立させたのではないかと推測されます。
モリの特徴
それぞれの村や、モリには固有の信仰や伝承があります。
存在として系統的に以下に分類できます。
雨乞い雨乞いに関しては生駒谷十七郷がひとつになって、
谷田、山崎、藤尾、乙田で行われていました。
しかし、モリの信仰と雨乞いの関連については不明。
虫送り初夏に稲の害虫を駆除する農耕儀礼。
日暮れに松明をつけ村境のモリの側まで虫を誘い、虫を退治します。
カンジョウ縄掛け村境から侵入する疫病や悪霊を防ぐカンジョウ縄掛けをおこないます。
モリが集落を守護すると信じられていました。
元服祝い若者の元服祝いにモリを御参りします。
なんらかの信仰の対象小瀬では金毘羅さんを、藤尾ではミーサン(白蛇)を信仰していました。
西畑では往馬大社の分社を祀っています。
中には民間信仰や、信仰の対象が不明なものもあります。
信仰の対象が不明であっても、定期的にお供えなどをしたそうです。
古代の戦争の戦死者の供養神武天皇や神功皇后伝説をはじめ、古戦場跡の霊を供養するモリ。
谷田にはナガスネヒコに敗れた神武天皇側の戦死者を葬った場所が伝えられています。
モリのタタリ
モリの特徴は、村々によって異なります。
しかし生駒谷の集落で共通しているのは、
「むやみにモリに近づいてはならない。」
「モリの木、枝一本といえど伐ってはならない。」
といった厳しい禁忌でした。
その禁忌をやぶったものには、激しいタタリをうけるということです。
谷田の枯れ木の森その昔、
「立ち枯れた真っ白な大木がそびえたっていて、
下の村もよく見えた」
という言い伝えから、その名がつけられたといわれています。
ここでは枯れ葉一枚でも持ち帰った者は、激しい腹痛におそわれると信じられていました。
谷田の北原の森 昔、お参りに来た老婆が誤って燈明を倒してあやうく火事になるところでした。
老婆は家に帰りつくなり目が見えなくなったそうです。
またモリの参道を壊した人の家では次々と不幸がつづいたそうです。
辻の堂峯(どむね)の森堂峯の森は、阪奈道路の建築工事で破壊されました。
祀られていたお地蔵さんだけをガーデンハイツ28棟の東側に遷されました。
当時は、タタリがあると反対運動があったそうです。
ところがこのモリがあった周辺は直線コースで見通しがよいにも関わらず、交通事故が多発しました。
地元のひとたちは「モリさんのタタリだ」とうわさしたそうです。
小明のモリ(モリの名称不明。)こちらでは、少し変わった言い伝えがあります。
止むえない事情がある場合には、モリのカミさんに許しを得て木を伐っていました。
ただし伐った者が木を使用してはならず、
他所の家にあげて、もらった者が使用してもよいとのことです。
ざっと紹介したところでもこれだけの伝承がのこされています。
しかし中にはすでに伝承が失われ、そのモリ自体が失われているケースも多々あります。
急激な都市化が進み、住民の意識が変化し、モリに対する信仰が次第に衰微していったのでしょう。
生駒関連記事>わたしの生駒。役行者と空海が愛した生駒山。生駒信仰と伝説
- 生駒谷の祭りと伝承 (古典と民俗学叢書)/著者不明

- ¥2,957
- Amazon.co.jp
- 時代別・奈良を歩く―古代・飛鳥から息づくロマンの道 (歩く旅シリーズ)/植条 則夫

- ¥1,470
- Amazon.co.jp