茶道発祥の地 獨盧庵・村田珠光 多聞城と松永久秀の罪と罰 ― 茶礼祖村田珠光旧跡「称名寺
奈良、ことに都があった周辺には沢山のお寺があります。
それは、遷都するたびに、周囲のお寺もいっしょに御引越しをしていたためです。
近鉄奈良駅。
かつて平城京であったここにも、無数のお寺がところせましに軒を連ねています。
そして、それぞれに歴史があります。
高天交差点から、やすらぎの道を北に300メートルばかり歩いてすすみます。
すると、歩道にこのような石碑が建てられていました。
「茶道発祥の地」
おやと覗き込む。
片側には、「茶礼祖村田珠光旧跡 称名寺」と記されています。
そこからやすらぎの道をそれて、枝道へと入り込んでいきます。
そこに、称名寺(しょうみょうじ)がありました。
山号「日輪山」
西山浄土宗。
文永2年(1265)。
興福寺の学僧・専英、琳英兄弟が常行念仏の道場として創建しました。
当時は、興福寺別院「興北寺(こうほくじ)」と称していました。
宝永元年(1704)、宝歴12年(1762)の大火で焼失。
現在の本堂は、享和2年(1802)に再建されたものです。
こじんまりしたお寺です。しかしなんともおびただしいお地蔵様がいらっしゃいます。
これらは千体地蔵尊。
永禄元年(1558)に戦国武将松永久秀が多聞城を築城する際、その城壁に用いた地蔵石像です。
その数は約1,900体に及ぶそうです。
多聞城が廃城となった折、散乱していたこれらを、第十九代観阿上人が集めました。
室町時代中期の茶人で、「わび茶」の創始者・村田珠光(むらたじゅこう)が11歳のときに出家しました。
ここに獨盧庵(どくろあん) - 別名・珠光庵という茶室があります。
毎年5月15日の命日に珠光忌法要が営まれています。
>戦国の梟雄・松永久秀の墓 ~ 達磨寺
>【戦国奈良無双・豊臣秀長】郡山城の逆さじぞう
それは、遷都するたびに、周囲のお寺もいっしょに御引越しをしていたためです。
近鉄奈良駅。
かつて平城京であったここにも、無数のお寺がところせましに軒を連ねています。
そして、それぞれに歴史があります。
高天交差点から、やすらぎの道を北に300メートルばかり歩いてすすみます。
すると、歩道にこのような石碑が建てられていました。
「茶道発祥の地」
おやと覗き込む。
片側には、「茶礼祖村田珠光旧跡 称名寺」と記されています。
そこからやすらぎの道をそれて、枝道へと入り込んでいきます。
そこに、称名寺(しょうみょうじ)がありました。
山号「日輪山」
西山浄土宗。
文永2年(1265)。
興福寺の学僧・専英、琳英兄弟が常行念仏の道場として創建しました。
当時は、興福寺別院「興北寺(こうほくじ)」と称していました。
宝永元年(1704)、宝歴12年(1762)の大火で焼失。
現在の本堂は、享和2年(1802)に再建されたものです。
こじんまりしたお寺です。しかしなんともおびただしいお地蔵様がいらっしゃいます。
これらは千体地蔵尊。
永禄元年(1558)に戦国武将松永久秀が多聞城を築城する際、その城壁に用いた地蔵石像です。
その数は約1,900体に及ぶそうです。
多聞城が廃城となった折、散乱していたこれらを、第十九代観阿上人が集めました。
室町時代中期の茶人で、「わび茶」の創始者・村田珠光(むらたじゅこう)が11歳のときに出家しました。
ここに獨盧庵(どくろあん) - 別名・珠光庵という茶室があります。
毎年5月15日の命日に珠光忌法要が営まれています。
>戦国の梟雄・松永久秀の墓 ~ 達磨寺
>【戦国奈良無双・豊臣秀長】郡山城の逆さじぞう
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