松尾芭蕉も絶賛! 孝女・伊麻と、うなぎ。 ~ 北葛城郡當麻町南今市の民話
今から300年以上も前のお話です。
寛永元年(1624)。
当麻町南今市の農家に、伊麻(いま)という女の子が生まれました。
明るく、素直な子でした。
しかし、早くに母を失った伊麻は、13の頃、当麻町竹之内へ働きにでました。
それから30余年、結婚をせず奉公先で機織りをして暮らしていました。
―
寛文11年(1671)の初夏のころです。
大和でたいへんな疫病が猛威をふるいました。
手の施しようもなく、次々と人が死んでいきます。
そんなある日、伊麻をたよって父が訪れてきました。
なんということでしょう。
父も疫病にかかっていました。
食べる物をうけつけることができず、伊麻のうちで、みるみる痩せ細っていくではありませんか。
医者にみせても手立てはなく、見放される始末です。
伊麻は郷里の弟をよび、二人で、昼夜おしまず父の看病をします。
そして、神仏に熱心にお祈りを捧げました。
しかし、いっこうに、父の容体はよくなりません。
ふと、うなぎの肝をすいものにして食べると病にきくと、噂を耳にします。

うなぎをさがし川を、山をとかけまわりました。
しかし、どこにも見つかりません。
それでも伊麻はあきらめず、看病の合間に、うなぎをさがしもとめました。
それから12日がたちました。
伊麻は。夜通し看病をし、夜明け前、うとうととしていました。
パシャッ・・・
軒下の水がめから、水がはねる音にハッとなります。
そっと、木戸の隙間から、表をのぞきこみます。
どうしたことでしょう。
水がめの水があふれています。
ときおり、中で何かがはねています。
弟を起こし、二人で表にでてみます。
こわごわと、水がめをのぞきこみます。
なんと、
おおきなうなぎが、水がめのなかで、はねまわっているではありませんか。
きっと神様がお授けくださったのだろうと、二人は大喜びです。
すぐに調理をし、父に食べさせたのでした。
ふしぎなことに重い病にかかっていた父は、たちまち全快しました。
伊麻は、うなぎの残りを、病に苦しむ村人たちに分け与えたのでした。
おかげで村人たちも、伊麻のうなぎのおかげで病から立ち直ったのでした。
誰もが伊麻の父を思う心が、天に通じたのだろうと話しました。
それを耳にした領主は、親孝行な娘であると感心し、伊麻に褒美をあたえたのでした。
それから、ある春のことでした。
供を連れた男が伊麻をたずねてきました。
その男は、俳聖・松尾芭蕉でした。
伊麻の噂をききつけ、吉野の花見を中止してやってきたのでした。
芭蕉は伊麻と会った感激を、こう綴っています。
「よろずのたつときも 伊麻を見るまでのことにこそあなれ」
(貴重なものを数多く拝観したが、
結局この竹内訪問は孝女伊麻の姿を見れば足りる旅であった)
その後、伊麻は、父が亡くなるまで孝行をつくしました。
晩年は仏門にはいり、名を妙徳とあらためたのでした。
元禄17年(1704)2月、81才でこの世を去りました。
>女性の味方 血の道の人 中将姫
寛永元年(1624)。
当麻町南今市の農家に、伊麻(いま)という女の子が生まれました。
明るく、素直な子でした。
しかし、早くに母を失った伊麻は、13の頃、当麻町竹之内へ働きにでました。
それから30余年、結婚をせず奉公先で機織りをして暮らしていました。
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寛文11年(1671)の初夏のころです。
大和でたいへんな疫病が猛威をふるいました。
手の施しようもなく、次々と人が死んでいきます。
そんなある日、伊麻をたよって父が訪れてきました。
なんということでしょう。
父も疫病にかかっていました。
食べる物をうけつけることができず、伊麻のうちで、みるみる痩せ細っていくではありませんか。
医者にみせても手立てはなく、見放される始末です。
伊麻は郷里の弟をよび、二人で、昼夜おしまず父の看病をします。
そして、神仏に熱心にお祈りを捧げました。
しかし、いっこうに、父の容体はよくなりません。
ふと、うなぎの肝をすいものにして食べると病にきくと、噂を耳にします。

うなぎをさがし川を、山をとかけまわりました。
しかし、どこにも見つかりません。
それでも伊麻はあきらめず、看病の合間に、うなぎをさがしもとめました。
それから12日がたちました。
伊麻は。夜通し看病をし、夜明け前、うとうととしていました。
パシャッ・・・
軒下の水がめから、水がはねる音にハッとなります。
そっと、木戸の隙間から、表をのぞきこみます。
どうしたことでしょう。
水がめの水があふれています。
ときおり、中で何かがはねています。
弟を起こし、二人で表にでてみます。
こわごわと、水がめをのぞきこみます。
なんと、
おおきなうなぎが、水がめのなかで、はねまわっているではありませんか。
きっと神様がお授けくださったのだろうと、二人は大喜びです。
すぐに調理をし、父に食べさせたのでした。
ふしぎなことに重い病にかかっていた父は、たちまち全快しました。
伊麻は、うなぎの残りを、病に苦しむ村人たちに分け与えたのでした。
おかげで村人たちも、伊麻のうなぎのおかげで病から立ち直ったのでした。
誰もが伊麻の父を思う心が、天に通じたのだろうと話しました。
それを耳にした領主は、親孝行な娘であると感心し、伊麻に褒美をあたえたのでした。
それから、ある春のことでした。
供を連れた男が伊麻をたずねてきました。
その男は、俳聖・松尾芭蕉でした。
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伊麻の噂をききつけ、吉野の花見を中止してやってきたのでした。
芭蕉は伊麻と会った感激を、こう綴っています。
「よろずのたつときも 伊麻を見るまでのことにこそあなれ」
(貴重なものを数多く拝観したが、
結局この竹内訪問は孝女伊麻の姿を見れば足りる旅であった)
その後、伊麻は、父が亡くなるまで孝行をつくしました。
晩年は仏門にはいり、名を妙徳とあらためたのでした。
元禄17年(1704)2月、81才でこの世を去りました。
>女性の味方 血の道の人 中将姫