万葉集に詠われた大戦の勝者~壬申の乱 天武天皇の即位 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

万葉集に詠われた大戦の勝者~壬申の乱 天武天皇の即位

「虎に翼をつけて野に放ったようなものだ」といわしめ、吉野宮に隠遁した大海人皇子。

天智天皇没後、甥である大友皇子は、天智天皇の陵墓造りに見せかけ、吉備、筑紫や西国に兵を集めます。

天武元年(672)。
大海人は機先を制し、草壁皇子(くさかべのみこ)をはじめ数十名を連れて吉野を脱出します。
伊賀、伊勢を経由して美濃に向かい、途中、大海人の子・武市皇子(たけちのみこ)、大津皇子(おおつのみこ)と合流します。

大海人に呼応するものは、皇族から一般庶民にまで及びます。

一方、大友皇子は、先の朝鮮出兵の失敗や、改革への不満のため思うように兵を集めることができませんでした。

美濃の不破関を陥落した大海人の軍は、東国へ呼びかけ次第とその勢力を増してゆきます。
かくして武市皇子を指揮官に大海人軍は、近江へ、近江大津宮の喉元である瀬田橋へ進攻します。

ここで「瀬田橋の決戦」が切って落とされます。
まさに天命をかけた大戦でした。
大海人軍は勝利し、大友皇子は追い詰められ自決します。

古代史最大の大戦「壬申の乱」。
わずか数十名からはじまった大海人の軍は、近江朝を打倒するまでに至ります。
これにより人々は大海人を英雄として神格化したのでした。

大海人軍の将・大伴御行は、このような唄で大海人をたたえています。

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大王(おおきみ)は

神にしませば 


赤駒の腹這ふ田居(たゐ)を都と成しつ


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わが大王は神であらせられるので、
赤駒でも腹までつかる泥深い田んぼも、
たちまち立派な都に造り上げられた。


壬申の乱ののち、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で大海人は即位し天武天皇となりました。

あかねさす・・・壬申の乱に至る兄弟の確執と愛(上)
あかねさす・・・壬申の乱に至る兄弟の確執と愛(下)
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