薩摩より感謝をこめて。天下分け目の関ヶ原の合戦と三輪 ~ 三輪山平等寺の伝説 島津義弘 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

薩摩より感謝をこめて。天下分け目の関ヶ原の合戦と三輪 ~ 三輪山平等寺の伝説 島津義弘

むかしむかし、
三輪山(桜井市)の南のふもとに平等寺(びょうどうじ)という、大きなお寺がありました。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-三輪山 平等寺



天下分け目の関ヶ原の合戦の時のことでした。

落ち武者がこの寺に逃げ込んできました。

疲弊しきった武者は、お寺の住職に、匿ってもらうように懇願したそうです。

住職は機転をきかせます。

落ち武者の鎧を脱がせ、頭を丸め、坊主に扮装させました。

そこへ関東方の探索の武士たち、寺におしかけてきたのでした。

「ここに豊臣方の落ち武者がきただろう。」

落ち武者狩りの報奨金に目がくらんだ武士たちは、強引に押し入ろうとします。

「この寺では、侍を入れることはまかりなりません。
お探しの武者なぞはいるはずはありません。
どうぞお引き取り下さい。」

住職は毅然としてはねのけます。

果して武士たちは、
根負けし退散します。


無事に落ち武者は、国元にかえることができました。

一命を助けられたお礼に、毎年、お寺へ米四十石を納めたそうです。

その落ち武者は、薩摩の島津義弘でした。

島津義弘の賭け (中公文庫)/山本 博文
¥820


島津義弘―関ヶ原・敵中突破の豪勇 (PHP文庫)/加野 厚志
¥690
Amazon.co.jp

関ヶ原の合戦で、西軍の豊臣方についていた島津義弘
西軍が敗色濃厚となると、戦場を脱します。
東軍が勢いをます中の壮絶な敵中突破は、武勇伝として今も語り継がれています。

その後、命からがら国元へと戻ります。

大三輪町史には、慶長5年9月から70日ほど、平等寺でかくまっていたと記録されていました。






ランキングに参加しています。
ポチッとよろしくお願いします。
↓↓↓↓↓

人気ブログランキングへ





合格三輪山と大神神社の目次はこちら
大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】