薩摩より感謝をこめて。天下分け目の関ヶ原の合戦と三輪 ~ 三輪山平等寺の伝説 島津義弘
むかしむかし、
三輪山(桜井市)の南のふもとに平等寺(びょうどうじ)という、大きなお寺がありました。
天下分け目の関ヶ原の合戦の時のことでした。
落ち武者がこの寺に逃げ込んできました。
疲弊しきった武者は、お寺の住職に、匿ってもらうように懇願したそうです。
住職は機転をきかせます。
落ち武者の鎧を脱がせ、頭を丸め、坊主に扮装させました。
そこへ関東方の探索の武士たち、寺におしかけてきたのでした。
「ここに豊臣方の落ち武者がきただろう。」
落ち武者狩りの報奨金に目がくらんだ武士たちは、強引に押し入ろうとします。
「この寺では、侍を入れることはまかりなりません。
お探しの武者なぞはいるはずはありません。
どうぞお引き取り下さい。」
住職は毅然としてはねのけます。
果して武士たちは、根負けし退散します。
無事に落ち武者は、国元にかえることができました。
一命を助けられたお礼に、毎年、お寺へ米四十石を納めたそうです。
その落ち武者は、薩摩の島津義弘でした。
関ヶ原の合戦で、西軍の豊臣方についていた島津義弘。
西軍が敗色濃厚となると、戦場を脱します。
東軍が勢いをます中の壮絶な敵中突破は、武勇伝として今も語り継がれています。
その後、命からがら国元へと戻ります。
大三輪町史には、慶長5年9月から70日ほど、平等寺でかくまっていたと記録されていました。
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三輪山と大神神社の目次はこちら
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】」
三輪山(桜井市)の南のふもとに平等寺(びょうどうじ)という、大きなお寺がありました。
天下分け目の関ヶ原の合戦の時のことでした。
落ち武者がこの寺に逃げ込んできました。
疲弊しきった武者は、お寺の住職に、匿ってもらうように懇願したそうです。
住職は機転をきかせます。
落ち武者の鎧を脱がせ、頭を丸め、坊主に扮装させました。
そこへ関東方の探索の武士たち、寺におしかけてきたのでした。
「ここに豊臣方の落ち武者がきただろう。」
落ち武者狩りの報奨金に目がくらんだ武士たちは、強引に押し入ろうとします。
「この寺では、侍を入れることはまかりなりません。
お探しの武者なぞはいるはずはありません。
どうぞお引き取り下さい。」
住職は毅然としてはねのけます。
果して武士たちは、根負けし退散します。
無事に落ち武者は、国元にかえることができました。
一命を助けられたお礼に、毎年、お寺へ米四十石を納めたそうです。
その落ち武者は、薩摩の島津義弘でした。
- 島津義弘―関ヶ原・敵中突破の豪勇 (PHP文庫)/加野 厚志
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関ヶ原の合戦で、西軍の豊臣方についていた島津義弘。
西軍が敗色濃厚となると、戦場を脱します。
東軍が勢いをます中の壮絶な敵中突破は、武勇伝として今も語り継がれています。
その後、命からがら国元へと戻ります。
大三輪町史には、慶長5年9月から70日ほど、平等寺でかくまっていたと記録されていました。
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