台湾北部の港町基隆の近郊、台北県瑞芳鎮に位置する山あいの町、九份(きゅうふん)の路地裏です。



  山の斜面にある元鉱山の町で、最近は観光化し、台北観光とともに観光客が訪れる、台湾北部屈指の有名な観光地となっています。 宮崎アニメの 『千と千尋の神隠し』 のモデルになったとも言われているこの町。坂と赤提灯の独特の雰囲気に大きな魅力を感じる町です。

 


 九份について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、引用させていただきました。


 九份(きゅうふん) 【 名称の由来 】 


 九份という地名はいくつかあり、一般的に台湾語で「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」の意。または、清朝初期に9世帯しかなく物を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことから、ともいう。 台湾語ではカウフン、あるいはカウフナ、中国語ではジォウフェンという。 

 日本統治時代の1920年10月1日より九分(きゅうふん、台北州基隆郡瑞芳庄所属)大字があったが、1933年12月16日金瓜石に改称。 


 【 歴 史 】 その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。


  1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画「悲情城市(A City of Sadness)」(侯孝賢監督)のロケ地となったことで九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多数の人々が九份を訪れ、また他のメディアにも取り上げられるなど、台湾では90年代初頭に一時九份ブームが起こった。 


  ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。  日本では、九份が2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介されたため一般の観光客への知名度が一躍高まった。日本で出版されている台湾旅行ガイドブックの多くにはこの逸話が紹介されている。映画を観て九份に興味を持ち訪れる者も多い。


  九份にはホテル(中国語で飯店、旅社)がなく、宿泊施設は主に民宿である。  現在、九份は世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今や台湾を代表する観光地のひとつとして定着した感がある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  とても情緒のある町で、台北へ来たなら是非とも足を延ばしたい観光地だと思います。