エホバの証人は全血および成分輸血を拒否します。分画は良心的に個々が決められるとしました。そして直近、自己血輸血についても解禁しました。

この立場についてエホバの証人は信教上の理由としています。それでこの輸血に対する立場の聖書的な根拠がきちんとなければなりません。(ヘブライ11:1)


◆ 根拠とされる聖句①:創世記 9章3、4節

「血を含む肉を食べてはならない」「血は命」

同じ聖句には「生きている動物はどれも食物にしてよい。緑の草木と同じように,それら全てをあなたたちに与える。」とあります。

エホバはノアに血を抜いたものであれば動物の肉を食べてよいとしました。この聖句の目指すところは、命を大切にされるエホバ神への敬意を示すことです。

食肉はどんなに血抜きしても完全に血を取り除くことはできません。当然のことながら主要成分も残ります。それでも神は命を維持、あるいは楽しむために肉を草木と並べて挙げて食べてよいとしました。それ以降、神のしもべたちは現在に至るまで肉を食べてきました。

血の成分が含まれるという点では、母乳や牛乳などもそうです。子供や子牛の命や健康を維持するために神が造られたものです。成分を含む輸血も、命を救い、維持することを目的としたものです。


◆ 根拠とされる聖句②:使徒 15章28、29節

「というのは、聖なる力によって私たちは、次の必要な事柄以外、皆さんに何の重荷も加えないのがよいと考えたからです。すなわち、偶像に犠牲として捧げられた物、血、絞め殺された動物、性的不道徳を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、皆さんは穏やかに暮らせます。健やかにお過ごしください。」

ここで述べられている血は人間ではなく、動物の血のことです。モーセの律法の中で血の用い方の指示があるとはいえ、犠牲(いけにえ)に関連した動物の血に関してでした。(レビ17:11-14)

また聖句では「避けているように」という穏やかな表現になっていることにも注目できます。聖書には治療法としての輸血について言及されておらず、罰則も設けられていません。


◆ 結論:「原則」のはずが「罰則による強制」に

これは原則の域を超えません。

エホバの証人の言う原則とは、聖書に込められている神の不変的な考えや気持ちであり、これを元に自由意志を用いて個々がどうするかを神に祈りによって相談して、個々が神との関係で判断するものです。

エホバの証人は雑誌の中で「エホバは私たちの主体性を重んじて、自分で決められるようにしてくれています。」と述べています。また政府などに対しては、輸血をするかどうかは個人が判断することだと説明しています。

しかしエホバの証人は、輸血し悔い改めないなら組織から除く処置をするとしており、罰則によって強制しています。


◆ 統治体には「ルール」にする権限があるのか?

コリント第二 1章24節には、「私たちは皆さんの信仰の主人ではありません」と記されています。


本来、聖書原則をルールにする権限は、主権の観点から人間にありません。それは神にのみ属するものです。統治体が作ったガイドラインが、神の律法として今後聖書の一部になるでしょうか。


近年、組織は男性の髭、女性のスラックス、ノーネクタイなどを解禁しました。聖書に言及がないから、時代が変わった、新たな理解を得た、祈った結果だと主張します。自己血輸血の解禁の時もそう言っていました。

しかし、それらを「禁止」するときも、祈って聖なる力に導かれてルールにしていたはずではないでしょうか。


◆ 「神が変わった」のか「統治体が変わった」のか

エホバの証人自身が説明している通り、聖書の「原則」は不変です。原則に基づいて考えているのであれば、時代によってコロコロ変わるはずがありません。聖書には「私はエホバであり、変わることはない」(マラキ 3:6)とあります。

ということは、エホバ神のお考えが変わったのでしょうか?

それとも、統治体の考えが変わったのでしょうか?

人々の見方などが時代と共に変化しているとしても、大事なのは人間ではなく、聖書に含まれている原則、つまり「不変の神の考え」のはずです。ダメならダメ、良心的に決めることなら良心的に決めること。それ以外の「人間のルール」を付け足すべきではありません。


◆ なぜ組織はルールを変えられないのか

もちろん、輸血(全血、成分)をするかどうかを「各自の良心で決めること」と組織が今さら認めてしまえば、これまで組織のルールに従って輸血を拒否し、亡くなった人たちへの責任を負いきることはできないでしょう。また、他のすべての教理の信条、統治体への信頼が崩れることにもなります。

だからこそ組織は、こうしたまっとうな意見や疑問を述べる人を調査して特定し、口封じをしようとします。そして、組織から除く(排斥する)という罰則をします。


◆ 「相対的無輸血」

現在の医療現場には「相対的無輸血」という治療方針があります。これは、患者の意思を尊重してできる限り輸血を避ける努力を尽くしますが、どうしても命の危機が迫った最後の最後には、命を救うために輸血を行うという選択肢です。これは命に対する神のお考えに敬意を示すことにもなるのではないですか。

輸血があるから出血量を気にしなくても良いと考える外科医はいません。出血量をできるだけ抑えることが重要であることを理解しています。

輸血にはリスクがあります。無輸血にもです。どんな治療にもリスクは生じます。医師からのICを受け、神と祈って各自が決められるでしょうか。


輸血を拒否することに関して、エホバの組織にはきちんとした根拠を元にした説明をしていただきたいです。