自己血輸血の解禁の動画について


動画の中で述べられていた組織の主張に反論する。


⚫︎【自分の血を医療目的で使用することについて聖書は何も述べていないから...】

はい、他の人の血を医療目的で使用することについても聖書は何も述べていない


そもそも聖書時代に輸血という治療法は存在していない。


⚫︎【医学が進んでどんどん新しい治療法がでています。それで解禁!】

医学の進歩のせいというのか?

しかし、自己血輸血は100年前から存在していた。この表現を使っても自己血輸血があれば助かった過去のケースへの責任からは逃れられない。


⚫︎【よく祈ったので...】

禁止する時も祈ったはずでは?受け入れれば助かったのに命を落としたケースがある。それは考えを変えた神のせいというのか?


⚫︎【創世記9:3、4。使徒15:28、29】

私の他のブログ記事で説明しています。そちらへ。


⚫︎【モーセの律法下にはいないので...】

レビ17:13には「食べてよい野生動物や鳥を捕まえた場合、その血を注ぎ出して、土で覆わなければならない。」とある。この聖句は文脈を見ても明らかな通りそもそも人間の血ではなく、動物の血について述べている。これを人に適用して自己血を含む輸血拒否をしてきた。


しかし現在はモーセの律法下にはいないと言う。


ではなぜ神は1世紀から現在までのクリスチャンがモーセの律法を読めるように聖書に含めたのか。教団は聖書に書かれているルールはルール。あとは原則と言う。


この原則を拡大解釈などしてルールにしてきているのだから、聖書にあるモーセの律法という原則を根拠に、これまで通り自己血を含む輸血拒否を引き続きルールにすれば良いのでは?



モーセの律法下にはいないと言いながら、モーセの律法のあるものはルールとして採用している。例えば申命記19:15の2、3人の証人で有罪にできる。はルールとして採用している。その結果、オーストラリアの王立委員会などでも認められている通り児童虐待が通報されなったケースが多い。


このように聖句を恣意的に用いていると感じる。


教団の主張は自己血輸血を解禁するにしても解禁しないにしても説明にならない。