エホバの証人の書籍:
「起源はそれほど大きな問題なのでしょうか。確かに問題です。例えで考えてみましょう。道端の排水路にキャンデーが一つ落ちていました。あなたはそれを拾って口に入れるでしょうか。もちろんそんなことはしません。そのキャンデーは汚れているからです。祝祭日もそのキャンデーのように,甘く快いものに思えるとしても,汚れた場所から拾われてきたものです。」
エホバの証人は誕生日は禁止している。その理由とそれに対して反論する。解禁した場合の反論も。
⚫︎誕生日の祝いは異教に由来している。
【反論】
最近、解禁した乾杯も異教由来。エホバの証人が行なっている結婚指輪なども異教由来と組織は認めている。「汚れた場所から拾われてきた」という大原則はどこへ、、、。
⚫︎ 聖書には,神に仕える人が誕生日を祝ったという記述が一つもない。初期のクリスチャンは誕生日を祝わなかった。
【反論】
祝ったという記録がないだけで禁止になるのか。記録がないのと禁止は別問題。聖書のどこにも誕生日を祝ってはならないというルールや罰則は述べられていない。
⚫︎聖書に出てくる2つのエピソードはどれも良くないものとして出てくる。
【反論】
はい、2つだけ。しかし誕生日そのものが否定されているわけではない。
⚫︎ クリスチャンが守り行なうよう命じられている唯一の記念式典は,イエスの誕生ではなく死と関係している。
【反論】
イエスの死は人類の救いのため。であればそれを祝うようにというのは当たり前。むしろ聖書にはイエスの死だけを祝いなさいとは書かれていない。
⚫︎誕生日は個人崇拝になる。
【反論】
エホバの証人は歓迎会、追悼式、移転の祝いやその最後の講演などを行う。これも個人にスポットライトが当てられるのでは。
⚫︎解禁します!現代では誰も起源を気にする人はいなくなったから。
【反論】
起源が重要だったのでは?キャンディーが溝から拾われたことを知っている人がいなくなったから舐めるのか。あるいは他の人にその溝から拾われたキャンディーを舐めさせるのか?
大切なのは時代や状況で変わる人間の見方や気持ちではなく、変わらない神の考えのはずでは?神がルールにしているものはルール。もともとルールではないならルールではない。
解禁してもしなくても統治体は大変ですね..
ですので誕生日の禁止とその罰について、きちんとした根拠を示してもらいたいですね。根拠がないならすぐに解禁すべきだと思う。