唐津街道 多久(佐賀県) ~岸川饅頭 その2(背景)~ | フラワーデザイナー♪とももの花より団子

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花より団子なフラワーデザイナー【ともも】の日々雑感とシュガーロード(長崎街道)沿いに発展したお菓子とその背景の調査の記録です。
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 シュガーロード(長崎街道)のお菓子を調べています。
 先日(4月12日)行った佐賀県。出合ったぼた餅と岸川饅頭のことは先にブログにUPしました。

 すでに一部UPしている内容はこちら
 シュガーロードのお菓子たち~中原(佐賀県)綾部のぼた餅~
 お菓子ストーリー ~多久(佐賀県) 岸川饅頭~
 

 岸川饅頭は餡が入っていない饅頭で、これは中国から伝わった形(原形)ではなかろうか・・というものらしいことはすでに書いた。中国では、饅頭の歴史が数千年におよぶといわれている。

 そんな中国の文化がなぜ、多久に・・・と思うのだけれど、これには、江戸時代(元禄時代の頃)多久をおさめていた鍋島藩家老職であった多久茂文が孔子廟(聖廟)と東原しょう舎(学校)を建立したことに始まる。多久の聖廟・・といえば、わかる方も多いだろう。観光案内には必ず載っている場所。現存する孔子廟では日本最古らしい。多久では儒教による文武両道の教育を施されたということだ。

 今回、多久の聖廟を訪れてみたけれど、古い建物はとても赴きがありそこだけは中国・・の雰囲気。建物をよくみると、いろんな意匠があってそれもおもしろかった。(鬼や象もいた♪)写真を撮り忘れたのが悔やまれるが、聖域ではカメラをあまり使わないことにしているのでそれはそれでよかったのかも・・と思っている。どうしても、写真を見たい方は、多久の聖廟で検索又は観光案内を探して見て欲しい。

 この中国文化の招来は、中国文化の一つである蒸し饅頭をも運んできた。これが岸川饅頭ということになる。岸川饅頭は岸川地区で作られているから岸川饅頭。通常は、多久饅頭という。多久家代々がこの饅頭を作ることを推奨した・・らしいので、多久の中国熱は相当なものだということだろう。

 面白いのは、隣の小城では、黄檗宗の影響が強い。黄檗宗といえば、開祖は隠元で、隠元豆を伝えた事で有名。隠元豆は羊羹の原料である。北部九州で多い、カステラ饅頭の白餡の原料の一つでもあるので、やはり佐賀県では栽培されていたのか・・と妄想が膨らむ。

 佐賀の内陸で残る中国文化の影響。その象徴のような存在が岸川饅頭というのが面白くもある。

 

 

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~長崎街道(シュガーロード)について~
 長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
 私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
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