~お菓子ストーリー ~甘酒饅頭~ | フラワーデザイナー♪とももの花より団子

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花より団子なフラワーデザイナー【ともも】の日々雑感とシュガーロード(長崎街道)沿いに発展したお菓子とその背景の調査の記録です。
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 昨年、秋よりシュガーロード(長崎街道)沿いに発達したお菓子とその背景や歴史などなどを調べています。調査結果などはこのブログにもUPしています。ブログの横のテーマ「長崎街道(シュガーロード」のところをご覧下さい。

 さて、その調査で、1月に行った小倉で、江戸時代から戦前まで「三韓飴(三官飴)」という飴が名物だった・・と教えていただき、それから、いろいろと本などを読んで調べていました。飴は実はシュガーロードと関係ある場合とない場合があります。麦芽を使った飴は、砂糖が入ってくる前から存在していました。砂糖から作る飴とは区別されます・・・まだまだ本をざっと読んでいるだけなので、詳しい事はそのうちに・・・。で、その本に江戸時代の筑前の飴の産地として、二日市、紫、永岡が紹介されているのをみて、興味ぶかく思いました。飴は街道筋の宿場町で生産されることが多いので。二日市は長崎街道沿いではありません。・・ということは・・・

 二日市は日田街道の宿場町でした。調べてみると、なんと日頃通っている道、中央通りは日田街道でした、そこから旧3号線を朝倉街道方向へ・・・の道でした。中央通りには、大賀酒造(福岡で一番古いらしい)とか、恵比寿醤油とか、谷呉服店(奥に素晴らしい庭園とお蔵があります)とか、これらは、日田街道沿いということになりますね~~。

 そう思うと、地元の歴史にも首をつっこみたくなります(笑)江戸時代に飴を作っていたところは現在はわかりません(今後調べてみます)名物で飴・・ということも聞かないしね。すべては時代の彼方・・であります。

 その日田街道を今日は、朝倉街道方面にポコポコ歩いてきました。
 お目当ては、「菓子処 天本屋」の甘酒饅頭です。
 
 筑紫野市は長崎街道と日田街道と薩摩街道が交わる場所でした。山家宿はそんな交通の要所に合った宿場です。隣の原田宿には三国坂、山家宿と内野宿の間には冷水峠と、昔の旅人が大変な思いをして通った場所があります。はらふと餅など甘いお菓子はそんな旅人の疲れを癒したり、体力をつけたり・・という役目があったようです。

 山家には特にお菓子は残っていないのですが(調べる限り)甘酒饅頭を作っているお店が以前、長崎街道の番組で紹介されていたようなので、ちょいと行ってきたってわけ。

 お店は、和菓子と洋菓子を扱っている、町のお菓子屋さん・・と言う感じ。で、びっくりしたのが、お饅頭がいろいろあって、おまけに安い・・・。お目当ての甘酒饅頭は、お店で一番の人気のようです。

 お店の歴史などをちょっと聞いてみたら、お店は40年前からこの地(朝倉街道駅近く)で創業。甘酒饅頭はご主人のお父さんが小郡(福岡県)で和菓子屋さんをされていて、そこで作っていたものをこのお店でも・・と作り始めたそうです。 山家とは関係ないようで・・・残念。


 
 手前が甘酒饅頭 奥のは麩饅頭
 甘酒饅頭はたべると、ふわっと軽く、麹の香りがします。
 餡はこし餡(黒) 後味がとてもよくて、じっくりあじわうと、甘酒のかすかな酸味もひろがります。

 シュガーロード(長崎街道)とは関係ありませんでしたが、こんな町の和菓子屋さんが貴重なのです。手作りのお饅頭は、昔の旅人でなくても癒されます。




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