始めて一人のクリスマス・イブ | うつ病の中で検証した「はらみ足投資法」

始めて一人のクリスマス・イブ

妻と私のことをブログに書いても、読み手はあまり面白くないでしょうが・・・


会社での数々のプレッシャーのかかる営業、そして納期は遅らせることのできない旅行会社

1人メンバーが欠けたことによる、能力以上に降り積もる仕事の山


そして、春先の妻の交通事故(第三胸椎圧迫骨折)

休日は息子の少年野球チームの全試合スコア記録係


何より、その野球部から、硬式野球のスカウトが、自分の一番信頼していた上司が関わっていたこと

夜中に突然電話してきて、酔っ払って夫婦共々に罵声を浴びせられ、僕は仕事も野球もこの一年何をやって来たんだろうという思い


張りつめた糸が「プツン」と音を立てて切れた、というのはこのことか・・・


思うように仕事がはかどらなくなり、車も運転できなくなり、通勤電車も乗れなくなり

僕はどうなってしまったんだろう・・・

なんなんだろうこれって


2005(H17年)12月20日・・・初診 病名「うつ病」2ヶ月の静養と診断

その後、双極性Ⅱ型感情障害と診断された。


自分でもよくわからず、早く社会復帰しないといけないという思いから、病気を自分が一番理解していなかったような、今ではそう思える行動をたくさん取っていたように思う

そして、社会的には精神障害者(2級)として生きていくことになった


2008(H20)年12月26日付で、ヘルパー2級を取得している

これは障害者職業能力開発校で、3ヶ月の通学だったけれど、この時、希死念慮が前面にどんどん出てきた時だった


そして、双極性Ⅱ型感情障と診断

2009年3月18日入院-5月25日退院

自宅療養


妻のまさかの離婚届の事件で、オーバードーズ(薬の大量服薬)

救急搬送で

2010年8月2日入院-12月4日退院

そして、双極性Ⅱ型感情障害混合状態と診断

自宅療養中


妻とはそもそも、高校時代からの付き合い

同じクラスにはなったことはないけれど、同じクラブにいた

高校1年生春、僕は小学校の時に友達のK君がしていたトランペットを、一緒にしないかと誘われ6年生の時に始めた


けれど、中学生になりブラスバンド部がなかったので、楽器はしていなかった


高校生になり、みんなばらばらになったけれど、そのK君と奇遇にも同じクラスになってしまった

これが、その後の僕の人生を大きく左右することになった


僕は、どのクラブに入ろうか迷っていたときに、一緒にまたトランペットを吹こうと誘われたが、一度は断った

でもしつこく、小学校の時から仲良しだったJ先輩(後に国立の教育学部音楽科を卒業して先生になった)もいるし、音楽室に行ってみようよ!というので、行くだけならということで、ついて行った


後からわかったことだけれど、ブラスバンドは男子が少なく、とにかく連れてきたら有無を言わさず、というか「うん」というまで帰れない雰囲気だった

女子の先輩が怖くかんじた^_^;


僕は15歳だった


そして、後に妻となる女性が夏休み前の7月に途中入部してきた

家に帰る方向が同じだったので、途中まで一緒に帰っているうちに恋心が芽生えてきていた


僕は16歳、彼女は15歳


それから、高校3年生の頃には、受験勉強どころか二人は深い仲になっていってしまう


「ずっと一緒に居たいね」


この言葉に嘘も偽りもない、僕の本当の気持ちだった

彼女も受け止めてくれていた


その後、僕は大学受験に失敗し始めての挫折をする

浪人するより、旅行関係の仕事がしたいから専門学校に行きたいと父に言うと、了承してくれ、普通浪人生活をしているだろう時間に、カナダへ一人旅へ出る「往復の飛行機代だけやるから行ってこい」と言われ、生活費をバイトで稼いで、カナダのバンクーバーへ行った。


彼女は、4年生の大学は失敗したけれど、ピアノができるので短大で先生の免許を取り、僕が2年生の時就職した


この時、僕は大阪、彼女は広島

遠距離恋愛は、バンクーバー⇔広島、大阪⇔広島、と2年くらい続いた


そうしながら事件が起こった

もう、一緒にならないといけないといけないと腹をくくる時が、22歳の時にやってきた


彼女は幼稚園の先生として就職し社会へ出て働いていた

僕は、2年生で国家資格の勉強が終わり、結果待ちの中、企業実習という形で、実際採用される見込みの高い企業でアルバイトで働いていた


そんな時、彼女は以前から先生は親とのやりくりが難しく、辞めたい私には合っていないといっていた


そして、神戸にいた僕にポケベルが入った

その時は神戸の友人と夜出かけていたのだ


大阪に帰ると、彼女は幼稚園は休み、自宅は帰らず、行方不明になっていた

なんのことかわからないまま、事情を聞くと、彼女は大阪の僕のアパートへ向かっているとのこと


夜も遅く、日付が変わる頃、妻の自宅へ連絡を取り、このまま泊めるわけにもいかないだろうということで、彼女と一緒に帰った


そうして、帰った日に寝てないということで、仮眠をさせてもらい、お昼頃から義父がすすめるお酒を飲みながら、彼女を下さいと言った


16歳から付き合い始めて、22歳の時に結婚し、二人で築きあげてきた日々

今41歳、生まれて彼女と知り合うまでに生きた時間より、長い時間を彼女と生きてきた


まさか、病気になって、一番辛い時に一人ぼっちにさせられるなんて・・・


僕は、別れるだけのことを彼女に対してしてきたのか・・・

それとも、子どもたちに悪影響がでるので、今は我慢してくれということなのか・・・

本当はひどい女なのか・・・


病気前までは・・・本当に良かった

妻や子どもたちと写っている写真を見ていると、切なくなってしまう


親は言う

本当にしんどい時は、支えてくれるはずだって

それが家族愛だろって

それを、一番辛い時に、さっさと逃げるような人なら、人間性を疑うって

はやく諦めたらって


まだ心が病んでいるのに、答えだせないよ

健常者でさえこんな場面に遭遇したらどんなふうに答えをだすのだろう


大好きだったこの曲

今聞くと、涙ぽろぽろです


未来予想図Ⅱ