
組長の朗読劇
私の頭の中の消しゴム
残念ながら観る事は叶いませんでした
が、観劇されたホロ組さん達の感想を見て、羨ましくもあり、組長のステップアップを感じられて嬉しくもあり
お芝居の内容は若年性アルツハイマーですよね★
記憶がなくなる、忘れる…
若年性ではありませんが、私の祖父はアルツハイマーでした。
もぅ25年前の事です。
当時はまだアルツハイマーって、今ほど世間には知られていなくて…
私達家族も対処のしようが全く分かりませんでした。
年寄りの単なるボケ(痴呆症)だとばかり…
脳のMRIを見たら、脳ミソが萎縮して隙間だらけでした。
我が家なのにトイレの位置が分からなくなり、部屋のあちこちで用をたす。
物の名前が分からない。
空間認知が難しく、自分の取り皿ではなく、他の人のおかずを食べちゃう。
昔の家(祖父の実家)に帰ろうとする。
自転車に乗れなくなる。
同居している孫・私の名前を忘れる。
色々話をしてて…
「お邪魔しました。では帰ります。」って言われてもねぇ…
トイレの場所を教えても、しないで何処か行こうとするから連れて行っても、しないの繰り返しで、押し問答の末、嫌がり暴れるのを無理矢理トイレに座らす…生傷絶えませんでした。
まぁ一番ショックは、私を他人行儀に「この人」って言われた事だったかなぁ…
外への徘徊がなかった事が救いでした。
その二年後、卒中で寝たきりになりました。
祖母と母と私で七年間、自宅で看病しました。
母と二人で担いでお風呂に入れたり、床擦れしないように体位変換したり、痰が絡んだら吸引したり…
最後の方は、言葉も忘れ何も言わなくなりましたが、全てを忘れると顔もち・見た目も赤ちゃんのようになってました。
そのうち咀嚼出来なくなり嚥下機能低下、自宅では世話しきれなくなり、入院。
点滴で生き長らえてました。
点滴も限界があり、医師から後半年と言われ…
丁度、その頃旦那との結婚を控えていて…
延期を検討したり…
余命半年と言われた時期を過ぎ、安定状態だったので、無事結婚式も出来ました。
他県に嫁いだので、看病は出来なくなりましたが、あたかも私達の結婚をさせてくれるために頑張ってくれたかのように、結婚式の二ヶ月後に亡くなりました。
それは危ないと言われてから一年以上経ってました。
他県のため、死に目には間に合いませんでした。
間に合わなかった事は心残りですねぇ。
今ほどアルツハイマーにつて知識があったら、もぅちょっといいように看病してあげただろうにと思いますが。
ヘルパー2級だし…
早いもので、この夏十七回忌が終わりました。
明治41年生まれの国鉄マン、超真面目人間でお酒一滴も呑めない人でした。
今回、もし朗読劇私の頭の中の消しゴムを観ていたら、私はどーなってた事か…
確実にヤバい泣き方で酷かったでしょう
なぁ~んて、観劇出来なかった負け惜しみ(笑)
以上、長々とすみませんでした
私の頭の中の消しゴム
残念ながら観る事は叶いませんでした

が、観劇されたホロ組さん達の感想を見て、羨ましくもあり、組長のステップアップを感じられて嬉しくもあり

お芝居の内容は若年性アルツハイマーですよね★
記憶がなくなる、忘れる…
若年性ではありませんが、私の祖父はアルツハイマーでした。
もぅ25年前の事です。
当時はまだアルツハイマーって、今ほど世間には知られていなくて…
私達家族も対処のしようが全く分かりませんでした。
年寄りの単なるボケ(痴呆症)だとばかり…
脳のMRIを見たら、脳ミソが萎縮して隙間だらけでした。
我が家なのにトイレの位置が分からなくなり、部屋のあちこちで用をたす。
物の名前が分からない。
空間認知が難しく、自分の取り皿ではなく、他の人のおかずを食べちゃう。
昔の家(祖父の実家)に帰ろうとする。
自転車に乗れなくなる。
同居している孫・私の名前を忘れる。
色々話をしてて…
「お邪魔しました。では帰ります。」って言われてもねぇ…
トイレの場所を教えても、しないで何処か行こうとするから連れて行っても、しないの繰り返しで、押し問答の末、嫌がり暴れるのを無理矢理トイレに座らす…生傷絶えませんでした。
まぁ一番ショックは、私を他人行儀に「この人」って言われた事だったかなぁ…
外への徘徊がなかった事が救いでした。
その二年後、卒中で寝たきりになりました。
祖母と母と私で七年間、自宅で看病しました。
母と二人で担いでお風呂に入れたり、床擦れしないように体位変換したり、痰が絡んだら吸引したり…
最後の方は、言葉も忘れ何も言わなくなりましたが、全てを忘れると顔もち・見た目も赤ちゃんのようになってました。
そのうち咀嚼出来なくなり嚥下機能低下、自宅では世話しきれなくなり、入院。
点滴で生き長らえてました。
点滴も限界があり、医師から後半年と言われ…
丁度、その頃旦那との結婚を控えていて…
延期を検討したり…
余命半年と言われた時期を過ぎ、安定状態だったので、無事結婚式も出来ました。
他県に嫁いだので、看病は出来なくなりましたが、あたかも私達の結婚をさせてくれるために頑張ってくれたかのように、結婚式の二ヶ月後に亡くなりました。
それは危ないと言われてから一年以上経ってました。
他県のため、死に目には間に合いませんでした。
間に合わなかった事は心残りですねぇ。
今ほどアルツハイマーにつて知識があったら、もぅちょっといいように看病してあげただろうにと思いますが。
ヘルパー2級だし…
早いもので、この夏十七回忌が終わりました。
明治41年生まれの国鉄マン、超真面目人間でお酒一滴も呑めない人でした。
今回、もし朗読劇私の頭の中の消しゴムを観ていたら、私はどーなってた事か…
確実にヤバい泣き方で酷かったでしょう

なぁ~んて、観劇出来なかった負け惜しみ(笑)
以上、長々とすみませんでした

