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Emikoのブログ

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私はその後、あるビューティクリニックで受付嬢の仕事をするようになりました。短い人生で、全く違う仕事をいくつか経験しました。国立病院の看護師、ミュージシャンのスタッフ、そしてビューティクリニックの受付嬢はまるで脈絡のない仕事です。しかし、看護師だったことも、ミュージシャンのスタッフだったことも、どちらも私の人生には必要なプロセスであり、十分に必然的なことだったのだと、今は思います。もちろん、考えようによっては、看護師とミュージシャンのスタッフの仕事がどちらも役に立っているといえます。しかし、私が言いたいことは、もっと深い意味での必然性なのです。それは、今までの自分を捨て新しい自分を創るということです。

 

芋虫は、その姿を捨てて蛹になり、蛹はその殻を脱ぎ捨てて蝶になります。蝶は芋虫に羽がついているようにも見えます。その意味で、ステージはつながっているともいえるでしょう。しかし、芋虫は蛹になるための準備であり、蛹は蝶になるための準備に過ぎないのだとしたら、蝶は死体になるための準備に過ぎないことになるでしょう。そして、虫の一生で蝶でいられる期間はごく僅かな短い間に過ぎないのです。そのような考えは、あまりにも虚しく悲しいのです。

 

本当は、芋虫が蛹になるとき、そして蛹が蝶になるとき、それは文字通りそれまでの自分を破棄することで、新しい自分を創造しているのです。そして、何かを破棄するということは、捨てるだけのものを創造してきたとも言えるのです。私たちの毎日は、何かを維持し、同時に何かを創造し、何かを破棄しているのだと思います。そこに私たちの命のダイナミズムがあるのです。

 

しかし、毎日の私たちはそのことにあまり注意を払いません。そして、大きな出来事を後から振り返って、そのことに気づくのです。逆に、毎日が維持と創造と破棄の連続であることに十分に注意を払い、そのダイナミズムを十分に発揮させることができれば、その人の命はより豊かになるかもしれません。そして、そのためには、そのような大きな出来事を振り返ることは、大いに有益でしょう。

 

大病院で働いていたとき、決して回復の見込みのない重病人の患者様たちに、先輩の看護師の方たちは、誠心誠意尽くしていました。今にして思えば、明日死体になるか回復するかで、今日の価値が決まるのではなく、その一日の命をダイナミックで充実したものにするかどうかで、今日の価値が決まるのです。