だが、2009年に原著が刊行され、村上のカーヴァー訪問をも漏らすことのない重厚なるこの伝記(全750ページ!)を通読すると、いかにしてひとりの酒浸りダメ男がさまざまな苦難を克服しつつ、押しも押されもせぬ国際的巨匠への道を歩み、「アメリカのチェーホフ」とすら渾名(あだな)されるまでに至るか、余人には不可能な人生がヴィヴィッドに伝わってくる。(星野真理訳、村上春樹解説/中央公論新社?3675円)。 評?巽孝之(慶応大教授)。 ■書くこと楽しむ全ての者へ。 かつて北米で「カーヴァー?カヴァーズ(Carver Covers)」なる洒脱(しゃだつ)なアンソロジーが立案されたことがある。最愛の妻メアリアンと子供たちとも別れ、ホームレスとなり、一時は詐欺師の汚名すら着せられるカーヴァーだが、しかし労働者階級の非凡なる日常を活写する圧倒的な才能だけは、誰もが認めざるをえなかったのである。 もっとも、我が国ではカーヴァー紹介と翻訳を一手に引き受けた村上春樹本人が絶大な文学的影響力をもつだけに、あえてご本尊の独自性を吟味しようとする動きは少ないかもしれない
それは、ひとりの作家の評伝を超えて、ひとつの普遍的な人間の問題をあぶり出す。そして作家の草稿に過剰に朱入れしてしまう辣腕(らつわん)編集者ゴードン?リッシュとの長く激越なる葛藤は、本書最大のクライマックスだ。 その意味で本書は、書くことを楽しむ全ての者に開かれた、文学の贈り物なのである。 一番の読みどころは、いかにカーヴァーが作家ジョン?ガードナーらを師とする大学の創作講座から多くを学び、編集者との激越な闘争をくぐり抜けることで、自身の文学を成立させていったかという歩みだろう。実在するボRMTート会社カーヴァー社製の覆い(カバー)にひっかけて、1970年代以降のアメリカ文学におけるミニマリズムを牽引(けんいん)しつつも88年、50歳で急逝した作家カーヴァーを偲(しの)び、音楽で言うカヴァー曲の要領でオマージュ短篇の書き下ろしを集めようとしたユニークな企画であった。そもそも60年代には彼本人が編集者としてリライトの作業に従事していたことが、あのくっきりと彫琢された文章に反映したものと見られる。
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