札幌の実家から東京の自宅に戻ってきました。
 
アメリカから帰って2週間以上たちますけど
まだ時差ボケ引きずってるという魂年だな~
 
特に自律神経の不調がしぶとくて
急に心拍が跳ね上がり、いきなり暑くなってぶわっと汗がにじむ、
いわゆるホットフラッシュ的な現象が日に何度も泣き笑い
 
これ、時差ボケのせいじゃなくて、いよいよ更年期だろうか。
しばし様子見です…
 
札幌には12日ほど滞在しまして
といっても、毎日施設にいる母に面会に行くだけでしたが
 
やったことを振り返ると…
 
まずは父と、大通りのライラックまつりをチラ見したりとか。
 
倒れる前は花を見るのも育てるのも好きだった母、
少しでも話のタネになれば、と
父が大通公園のライラックまつりの写真を撮ってくるというので
じゃあ私も、と一緒に行きました。

 

 
ライラックまつり…どんなものか全然知らなかったけど
 
ただライラックを眺めるだけじゃなくて、オータムフェストのように
大規模なフードフェスタみたいな感じでやってるんですね。

 

 

私はこの後友達とランチの予定があったので、何も食べず。

父とひたすらライラックの写真だけ撮って、

札幌駅に車で送ってもらって解散しましたw

 

 
ライラックって、思ったよりだいぶ低い木だった。
 
 
気づくと、街路樹や住宅のお庭などによく植えられてます。

 

 

 

 

香りもいいんですよね。ライラックの香り大好き。

 

 

他にも花壇に植えられたチューリップなどの写真も撮り。

 

 

 

 
父がこの後施設に行って母に見せましたが
残念ながらあんまり興味を持ってくれなかったそうです笑い泣き
 
でも母の調子はムラがあって、数日後急に「大通、花の写真」(と多分)言ってきて
スマホで写真を見せると見てくれたりもした。試行錯誤です。

 

3月に会ったときより衰えてしまった機能もあり悩ましいですが

家族で「無理はせず、できる範囲で最大限」をモットーに引き続き支えていこうと思います。

 

 

しかし、母が倒れてからというもの、これまでになく

父と過ごす思い出が増えていきますね。

父は料理はしないけど、牡蠣のカラ剥きだけはエキスパートです。

 

 

 

ライラックまつりの後会ったのは、高校の同級生E美とO。

そう、友人Oも今回帰省していたのです。

 

E美の家の近くにある、古い倉庫をリノベしたおしゃれカフェでランチ。

 

 

しかしこの二人、

 

 

示し合わせていないのにおそろいみたいな服を着て来てて面白かったですw

 

 

帰りにはE美のお宅に立ち寄らせてもらい、ゆっくり話ができて楽しかった!

 

 

あと、小学校からの同級生Aちゃんのおうちにもまたお邪魔して。

いつもイオンでお寿司とか焼き鳥とか買っておうちでごはんさせてもらってる。

 

1月に会ったときはすごく小さかった猫ちゃん、だいぶ大きくなりました。

でもまだまだ子猫、まんまる瞳孔で隙あらばこちらを攻撃してくるw

 

 
他には…
 
母のマイナンバーカードの電子証明の更新をせよとの通知が来ていたため
代理で区役所に行ったんですけど
札幌市の区役所、めっちゃ混んでた…!
受付したら30人待ち。
窓口に呼ばれるのに50分ほど待ち、
さらに更新後のカードを受け取るのに30分待ち。
 
暇すぎるので、待ち時間に向かいの琴似神社にお参りし

 

 
そこで向かいの消防署の2階に週に一度、水曜だけオープンする
屯田兵の資料館があると聞き、ちょうど水曜日だったので行ってみたりして
 
(※屯田兵=明治時代に北海道の開拓・警備をするために配備された兵士。多くは東北地方から移住。平時は訓練の傍ら開墾や農作業等を行い、西南戦争や日清・日露戦争などの有事には参戦した)
 
 

渋い。

 

 

さらに、市が管理している屯田兵の住居を保存してるやつも見に行った。

 

 

ここ、多分小学生の頃、社会科の時間に見に来た気がするんですよね。

 

 
ストーブもない住居で北海道で暮らすって昔の人のタフさすごい。

 

展示されている農機具は、おじいちゃんの家に普通にありました、40年くらい前。

 

 

この家にも、あと展示室にもあった壁掛け時計、

 

 

おじいちゃんちにあった時計とほとんど一緒。実家でまだ動いてます。

 

(脇にぶら下がる50円玉は水平をチェックするためかけてるやつ)
 
こんな12日間でした。
 
さて、まずは、このところのお買い物記録を書いてから
カタールのことも思い出して旅行記を書こうと思います。
 
東京のお友達、お時間あったら遊んでください~!