ふう、みなさまお疲れ様です。
札幌に来て1週間が経とうとしてます。
明日の夜にはまた東京に戻ります。
2月末に脳卒中で倒れた母、
それ以来同じ病院に入院しています。
一度はかなり回復し、
リハビリってすごいなあ✨
この調子なら住み慣れた自宅に戻って生活もできそうかな?と家族一同期待したのですが
脳の損傷がやっかいな場所と規模だったらしく、
入院中にてんかん発作が複数回起きてしまい
命の危険があるわけではないものの
種々の副次的な症状もあって
身体と認知の状態が悪化してだいぶ経ちます。
集中治療病棟からなかなか出られず、
面会は2時から3時の間、原則15分と決められていて
(15分過ぎても追い出されることはないので、ちゃっかり40分間とか滞在はしてますけど)
午後2時って、正直1日の真ん中って感じで。
午前中から出かけるにはちょっと時間が足りず
かと言ってお見舞い後から出かけるにもすぐ夕方になる…
あんまり他のことができず、結局ほとんど実家で過ごすことになり
そうすると母親が20数年間住み続けてきたこの家の中に、暮らしの工夫とか、母が選んだデコレーションとか嫌でも目に入ってきて
結果ずっと母親のことを考えて続けてしまうハメに。
何が言いたいかというと、
精神衛生上あんまりよくなーい!

母親がこだわって維持してきたこの家に、もう一度戻してあげたかったな…
などといちいち心がかき乱されるわけです。

私の同世代の人たち、家族を現在進行形で支えている人、見送った人、多くいます。
みんなこの情緒のジェットコースターを乗り越えて、あるいはまさに揺さぶられながら、生きてきてるわけですよね。マジリスペクトですわ…!
これまでの母親と自分の関係性とか
過去のしがらみとか
残されそうな父の今後とか
なんなら自分の老年期、いつかくる夫との別れ…
いろいろ考えちゃいます。
いきなりの自分語りですけど
私は新卒で通信教育会社に就職したのに
最初に配属されたのが介護事業部で、
3年間訪問介護ステーションの運営をしてました。
ホームヘルパーさんの募集・採用と
研修、雇用管理を始め
顧客の窓口も担当し
2000年に介護保険がスタートした時には自治体への請求事務をまわして
3年目には、
契約社員とパートのスタッフさんメインの事務所に正社員一人だけだったので、ペーペーだというのに名前だけセンター長でした
(もちろん人事権や管理権などは皆無)。
若すぎて、今思えば本当に舐めた社員だったけど
年上のお姉さまたちに囲まれて可愛がってもらいました。
(たまに悪口言われたりもしたけどね)
(私が社会人として鍛えられたのは次に行った部署でなので、この3年間はパヤパヤだった、ほんとに)
私が契約締結をするのは、
公的ではない自費サービスがメインで
主任看護師さんと一緒にお客様のご自宅に伺って契約を結んだり、ヘルパーさんの紹介などで同行訪問させていただく折に
本当にいろいろな利用者の方と接する機会をいただきました。
高齢に伴い生活のサポートが必要な方たちはもちろんのこと
重度の認知症の方
パーキンソン病の方、
筋ジストロフィーの方、
リュウマチの方、
ALSの方。
更年期障害が重度の方なども。
人生はいつなんどき、何があるかわからないのだと学ばせてもらったのです。
老いていく先でスムーズに生を終えられるのは限られた幸運なケースだけだということも。
支える家族に負担が生じることも。
同じ支社でデイサービスもグループホームもやってたし、訪問看護や訪問入浴など他事業者さんと連携もしてたので、高齢者介護のサービスラインナップに関しては多少のイメージが沸くようにはなれました。
そんなわけで、22歳の頃から、
いつか来る、親が介護を必要とする時がいつか来る、なんなら老いなくても看護や介護が必要になる可能性はいつだってあると
漫然と心の準備をしてきた、そのつもりですが
そしてその時の経験や知識は今役立ってるとは思いますが…
それでもやっぱり、キますね!😂
当時は介護の世界に骨を埋める覚悟はなくて(分社化する話も出てたし)
それとなくやんわりと求められてたのを無視して当時のヘルパー2級の資格もとらなかったし
結婚を機に東京のしま◯ろう教材を作る別の部署に異動させてもらったので
私に介護業界を語る資格は全くないのですけど
あの頃ご縁のあった皆さま〜!
いよいよ私もここに来ましたよ!
その節はありがとうございました…!!
という気持ちです。
てか、まだ介護も自分ではやってないですけども!入院先の病院に看護任せきりですし。
多分自宅には戻らないから、身体介護を自ら担う機会もなさそうで、やるのは介護体制の構築といったところ。
あとは父のケアかなあ。
でもね
ここまで何事もなくこさせてもらえた幸運にも感謝だし
話を聞いてくれてアドバイスをくれる経験者の友達がいるのも恵まれてる。
何しろ一緒に支える他の家族メンバーがいてくれるのも、介護初心者にはありがたいハナシ。
たくさん支えてもらってる、そこで得たパワーで
助けが必要な母を、支えていかなくてはな。
できる範囲でだけどね!
そんな気持ちで日々過ごしておりました。