マルタ旅行記、続きます。
青の洞門、巨石遺跡を見た後、車で少し北上し城塞の古都イムディーナへ。
今マルタの首都はヴァレッタですが、その前に首都だったところ。
壁に囲まれた街…進撃っぽい。
マルタは地中海の真ん中にあって、紀元前5000年とかの新石器時代から人が住んでたし
有史以前から神殿とか立てて文明が発展してた(前回行った遺跡とかね)ところに、
ローマ帝国だアラブだノルマンだといろんな国から侵略されることを繰り返し
その後1530年から1798年までマルタ騎士団に統治されるわけなんですけど…ってか騎士団って?
世界史ちゃんとやってない私は十字軍?はて?ってくらいに記憶がゼロで。
改めてググった私の理解では…
キリスト教の聖地は中東のエルサレムで、でもそのあたりはイスラム教徒に支配されちゃって、でもキリスト教徒は巡礼でエルサレムに行きたい。でも行くと異教徒としてイスラム勢から攻撃されちゃう。
その攻撃からキリスト巡礼者を守ってエスコートするために生まれたのがこの騎士団…っていう感じ?
軍事力を有する修道会、ということだそうで。
11世紀に誕生した「聖ヨハネ騎士団」が、ちょっとずつ中東から撤退、キプロス島とかロードス島とかクレタ島とか拠点を移動し1530年にマルタに落ち着いたんだそう。
で、1978年にナポレオンに占領されてマルタ騎士団の統治は終わり、
その後マルタはイギリス領になって、1964年にやっと独立したらしい。
…まあ、というわけで、複雑な歴史を持つ国なんですけど
つまるところ何が言いたいかというと、過去の度重なる侵略の脅威から城塞都市ができたっていうことです。
クロアチアのドゥブロヴニクもそうだったけど、城塞都市って雰囲気あっていいよね!(そこか)
街の中を散策する前にランチをしようということで、いきなり街を突っ切って一番奥にあるお店、「フォンタネッラ ティーガーデン」へ。
運よくちゃんと日よけのついたテラス席に座ることができました。
ケーキが売りのようですが、お腹空いてたのでチャバタサンドとパスティッチ(マルタ名物のぺイストリー)食べた。
そのあとやっと街を散策。少し日が陰ってくれたけど、それでも暑かったよ…
なんか外観の写真を撮り忘れてたんだけど、まずは大聖堂へ。
マルタの教会、外側はシンプルに見えて中は豪華、のパターン。
ガイドブックで見どころとされてる中央祭壇の絵は修復中でした…
イムディーナの路地裏さんぽ。
スペインのトレドっぽい。
イムディーナの特徴としては、城塞内に死者を埋葬してはいけない決まりがあったそうで
城塞の外の街ラバトにたくさん地下墓地=カタコンベがあるということ。
それを見るために、城塞を出て聖パウロ教会へ。
教会内部は午後16時にならないと公開されないらしくて、
それより前に訪問した我々は
隣の博物館からアクセスできるカタコンベと聖パウロの洞窟※を見学しました。
※聖パウロの洞窟=エルサレムで捕まったパウロがローマに送られるときに船が難破してマルタに流れ着いてこの洞窟に隠れて布教活動したと言われてる。
ちなみにここのカタコンベ、入り口入ると道が分かれてて
第二次大戦のときに作った防空壕も見られるという。
いや、地下墓地そのものに避難したわけじゃないんだろうけど(一部利用はしたってことかな…)
なんか怖いよね、ここに隠れるの。
防空壕だけでも見てるとかなりの深さがあって。しかも奥まで行っても行き止まり、同じルートをたどって戻ってこないとならず、散策に結構時間がかかります。
やっともとの分岐に戻ってカタコンベへ。
さんざん防空壕のほうを見ちゃってるのでだんだん地下見るの飽きてきます…
かなりうろうろして、やっと奥のほうにあるアガペーテーブルにたどり着く。
日本でいうお斎というか精進落としというか、、死者を埋葬するときに食事する習慣があったらしいよ。
地上に続く階段があって、出口かな?と思うと、聖パウロ教会の礼拝堂に出ます。
ちょっともう地下とか洞窟を見すぎて、ここにたどり着くころには感動が薄れ気味…
というわけで、ラバトには他にカタコンベありますが、ここひとつでお腹いっぱいでした。
でも外の暑さと日差しから避難できるし、
墓地といっても見える範囲からは遺骨は撤去されているのか全くおどろおどろしくはないので
私は楽しめましたよ。
でも閉所恐怖症の人は無理かと。あと霊感のある方とかはどうなのかな…わかんない。
以上、イムディーナとラバトでした。
つづく