法要で北九州に帰ってました。

行きの羽田

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帰りの北九州空港

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肉巻きおにぎり。

いいお天気でした。

不在の間に、調布市震度5弱の地震!
何か壊れてるかしら、と恐る恐る家に入るつもりが、入るときはすっかり忘れてたあせる

食器棚も何もかもそのままだったけど、
被害が一つだけありました…。

カウンターに飾ってる、ちょっと安定の悪い写真たてが倒れて、その前に置いてあった竹富島シーサーが床に落ちてた…

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ガーン!顔が!叫び

思わずアロンアルファでくっつけて延命しました。

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さて北九州の夫の実家は仏事に対してかなりきちんとしている家で、故人の7日ごとの法要もちゃんと執り行っています。

下手すりゃ49日の法要まで繰り上げて告別式の日にやりかねない北海道生まれの私としては、なるほど、そうですか…と新しく学ぶことばかり。

仏教では、49日まではこの世とあの世の境目をふらふらしている不安定な状況なんだそうで。
そんなときに亡くなった日から7日ごとに、入れ替わり立ち替わりいろんな仏様?が生前の行いをジャッジするらしくて。

そのジャッジタイムでいい判定をもらって、49日に極楽へ行けるよう現世からも応援しよう!
という意味で、7日ごとにお経をあげるらしい…。
ラスボスのイメージのある閻魔さまは35日目に出てくるらしい。

そして49日目に「来世の行き先を決める」最終判定があるんだそうだけど…

私ここで疑問がいっぱい。
来世って何?極楽浄土に行くこと?それとも輪廻転生、生まれ変わること??

おおもとのチベットやインドの仏教は有無を言わさず輪廻転生だけど、日本に来てる仏教たちはそうではないらしい。
輪廻転生をしなくて済むように、坐禅を組んで修行して、仏になって一丁あがりになるのを目指すのが禅宗なんだとか。
じゃあ、修行してなくても残された遺族や子孫が供養をちゃんとやれば一般人でも生まれ代わりループの輪に飲み込まれずに極楽に行けるんですかね?それがこの一連の法要プロセスの意味なのかな?

と思ったところで、新情報。

極楽浄土を信じるのは浄土宗、浄土真宗であって、禅宗の概念にはないらしい。
禅宗は現世の一切の苦しみや欲望から解放される悟りの境地が信仰のハイライト…。

うーん、よくわからなくなってくる。

そんじゃ、49日でたどり着く仏の境地にいたった暁には、現世で好きだったもの・人・ことなんて全て取るに足らない小さなものだったと悟り、自我とか記憶とか失ってるのでは?
もっと前に亡くした家族や先祖と再会を喜べるような実体のある世界ではないのでは??

そしたらなんで悟って解脱しちゃった人がお盆に戻って来るのかしら?

さらに49日から50回忌までやってやっと弔い上げ、本当の仏になれました、となるらしいけど、
つまり仏の悟りレベルにも差があって、より高い次元の悟りに至れるように、本人もさらに死後においてまで修行はするけど、それだけじゃなく子孫が読経とか供養とか法事とかして応援しろってことだよね?

そこまでしてなりたいかなあ、仏…。

ネットで調べてもよくわからなくて、
お坊さんに今日軽くさわりだけ聞いてみたけど、何の知識もないひとに一から体系だてて教えてくれる感じはなく、よくわからず。

仏教における仏とは、一体なんなんだ??
修行してない一般人が仏になれる・なれない、維持できる・できないは、残された子孫がいかに供養をするかにかかってる完全な他力本願システムなの?

私みたいに子どもがいない人なんてとてもいい仏になれそうもないから、最初から信仰したくないんですけど(^_^;)


もちろん、自ら信仰が深かった故人をきちんと弔うのはとても大切だと思うので、それを汲んでしっかりやってる夫やきょうだいには本当に頭が下がるし、それに水を差す気は全くないんですけどね。

私は千の風になって教の信者になりたい…そこに私はもういません、と。