重粒子線のがん治療では転移がんは受け付けないという方針が一般的だ。
ところが山田滋医師はそのようなきまりにとらわれず
”
山田室長らの消化器チームは、直腸がん術後再発だけでもここ10年間で延べ331人の患者を診てきた。「絶対治らないがんを治す」を合い言葉に、治療と向き合っている。ただし、濱郫氏のように重粒子線治療を「合計7回」も行ったケースは他に例がない。
”
というまさに医は仁術を実践する難治癌の赤ひげともいえる真の医師だ。
”
'07年10月(当時64歳)、またも骨盤内に再発したがんは、2回目の重粒子線治療で消滅。だが、ホッとしたのもつかの間で、翌'08年正月明けに、一番恐れていた転移性肺がんが出現した。
「大腸がんが肺に転移したら大体そこで終着駅だと聞いていましたが、幸い、これも重粒子線のおかげで命拾いしました」(濱郫氏)
3回目の重粒子線治療では、長径4cm、短径2・3cmの転移性肺がんを撃退。同じ時期に国立H病院(前出)で抗がん剤治療を受けた。一度愛想を尽かした病院だったが、全幅の信頼を寄せる前出・山田医師の勧めを素直に聞き入れ、ひどい副作用にも耐えた。
”
すばらしい。すぐれた機械を優れた医師が駆使した最良のケースだ。
ところが山田滋医師はそのようなきまりにとらわれず
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山田室長らの消化器チームは、直腸がん術後再発だけでもここ10年間で延べ331人の患者を診てきた。「絶対治らないがんを治す」を合い言葉に、治療と向き合っている。ただし、濱郫氏のように重粒子線治療を「合計7回」も行ったケースは他に例がない。
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というまさに医は仁術を実践する難治癌の赤ひげともいえる真の医師だ。
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'07年10月(当時64歳)、またも骨盤内に再発したがんは、2回目の重粒子線治療で消滅。だが、ホッとしたのもつかの間で、翌'08年正月明けに、一番恐れていた転移性肺がんが出現した。
「大腸がんが肺に転移したら大体そこで終着駅だと聞いていましたが、幸い、これも重粒子線のおかげで命拾いしました」(濱郫氏)
3回目の重粒子線治療では、長径4cm、短径2・3cmの転移性肺がんを撃退。同じ時期に国立H病院(前出)で抗がん剤治療を受けた。一度愛想を尽かした病院だったが、全幅の信頼を寄せる前出・山田医師の勧めを素直に聞き入れ、ひどい副作用にも耐えた。
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すばらしい。すぐれた機械を優れた医師が駆使した最良のケースだ。