つかさの居所でお茶をよばれ、彼女の竪琴の演奏を堪能した後、とわは1人往来を歩いていた。
楽しい時間の後の、何だか空虚な気分。
家に帰っても誰もいないことがわかっているからだろうか。
今日は、旧暦の七夕。
家人のそれぞれが外出し、特に約束のないとわだけが留守番役を引き受けた。
朝からぽつんと家に居たところ、つかさの執事がお茶会の招待状を持って来てくれたのだ。
素直に嬉しかった。
去年は編笠の用心棒がいたけれど。
彼はどこか険しい旅をしているらしく、幾度か出した文も所在不明で戻って来てしまった。
とわはつかさからお土産にと貰った紅茶のパックを揉んで、そっと嗅いでみた。
えもいわれぬ良い香りが呼吸器官を通って体内に入ってくる。
「良い香り〜〜。」
目を閉じると、優雅に微笑む美女と、ぴったりと寄り添うように従う従者が思い浮かぶ。
「はぁ〜羨ましいですわ…。」
思わず本音が漏れた。
ずっと独りでも生きていけると思っていたけれど。
人の温もり、甘える心地良さを、もう自分は知ってしまった。
知った途端に、孤独は仲良しの友達ではなくなってしまった。
やるせない気持ちを持て余し、賑やかな街道をあてもなく歩いて、とわは遺跡平原へ向かった。
ハンターになって、自分の身は余程でない限り、自分で守れるようになった。
現に幾人ものならず者たちを退け、彼女は無傷で進んで行く。
しかし。
肉体的には強くなったが、心は体ほどは未だ強くないようだった。
傾く陽が西の空を燃やすほどに、独りぼっちの寂しさが募っていく。
遺跡平原のベースキャンプに着いた頃、辺りは真っ赤だった。空も、遺跡も。
ーーー昔は、しばらく独りだったのになあ…。どうして今独りぼっちってだけで泣きそうになっちゃうんだろう。
口がへの字になりかけた時、優しげな笛の音が風に乗ってやって来た。
とわは耳を澄ませる。
音符が軽やかに踊るような、それでいて頬をそっと撫でるような柔らかい曲。
ーーーこんな所で?どんな人が吹いているんだろう?
自然と、足が音の出所を求める。
カサ。カサ。
一歩歩くたびに枯れ草が舞い、耳に届く笛の音が揺れる。
とわは靴を脱いだ。なるべく笛以外の雑音は耳にしたくない。
音を伝って行き着いた岩陰。そっと覗くと、近くの川辺に人影があった。
ーーーヒト?それとも人外のモノ……?
よくよく見ると人間の男性のようで、見たことのない縦笛を奏でている。
真っ青なドレッドヘアーで、白っぽい服を着て、傍らには操虫棍…でも虫は見当たらない。
…あの人、きっとハンターよね?
この距離ならこっちには気がつかないはず。とわはそっと座り込む。
もう少し、彼の笛を聴いてみたかった。
ちょっとだけ、男が視線を上げる。
その柔和な横顔は思ったより若く、兄ワグナーと同じくらいに見えた。
青年の笛の音は、自在に草原を駆け巡る。
なんて見事な演奏。思わずため息がでた。
かつてのお嬢様暮らしの中で、数多の演奏家が聴かせてくれたどの音楽よりも、生き生きと瑞々しい。
やがて楽曲は盛り上がりを見せ、日の入りと共に終演を迎えた。
男が懐に笛をしまい、ゆっくりと立ち上がる。
白い脚部分に不穏な赤い染み。
陽が暮れても赤色とわかるほど、真っ赤な血痕だった。
立ち上がって初めてわかったのだが、足元に何やら小さな花が供えられていた。
男は操虫棍を杖にして、ゆっくりと歩き出す。
やはり脚を傷めているようだ。
とわは岩陰から飛び出した。
ぎょっとしたような男の腕を即座に自分の肩に回し、ベースキャンプを目指す。
「あの…えっと……キミは…?」
「あなたの演奏会の客、かしら。早くその足、手当てしましょう。」
とわは、誰も帰っていない家に入り、手早く灯りを灯す。
「ご家族はお出かけですか?」
俊(しゅん)と名乗った青年は、戸口から遠慮がちに中を覗いている。
結構散らかった各々の道具やら衣類やら。
それらをザーッと端っこに寄せて、とわはソファを空けた。
「ええ、にいさまねえさまはお泊りデートだし、爺やも1年に1回の逢瀬に行ったし。
ガロンとラギは駆り出されて徹夜の仕事に行ってるし。うちのアイルーたちも今夜は休暇でおでかけしてるわ。さ、入って。そのソファにかけて下さる?」
とわの言葉に俊は言う。
「僕が悪い人間だったらどうするの?キミは女の子、僕はこれでも一応男だ。」
振り返ったとわは笑う。
「悪い人間は自分のことそんな風には言わないわ。あなた、そんな人じゃないでしょう?第一、その足じゃそんなことになっても、集中できないのではなくて?」
俊は苦笑いした。
「では、お邪魔します。」
戸口で一礼し、彼は脚を庇いながら着席した。
「さっきの曲、素敵でした。演奏ってお人柄出るでしょう?」
傷薬をこれでもかと言うほど塗りたくり、包帯をぐるぐる巻くとわ。
「痛っ…。」
「良かったわね、痛いってのは生きてる証拠ですわ。ねえ、何て曲ですの?さっきの。」
彼は包帯を巻かれた足を動かしてみながら答えた。
「あれは僕のオリジナル。僕の猟虫への鎮魂歌なんだ…。今日、あいつは僕を庇って粉々に…。」
ーーーそれで虫の姿が無かったのか。
その身をもって主人を守って逝った虫。
虫がそこまで懐くってことは、よほど大切に世話されていたのだろう。
「ただの虫じゃない。僕が初めて操虫棍を持った時からの友達だったんだ。
…僕が未熟なばっかりに…。」
微かに震える声には、優しい思いが目一杯詰まっていた。
「そう……。」
手当てを終えて、とわは提案する。
「ねえ、お星様にお祈りしましょ?あなたの虫さんが天の川を飛び越えて、幸せな世界に飛んでいけるように。」
俊は傍の女ハンターをちょっとの間見て、静かに呟いた。
「あいつ…もう戦わなくて良い世界にちゃんと行けるかな?」
とわはゴソゴソと虫用の高級餌を出してくる。
それをとっておきの星型の器に入れ、窓辺にそっと置く。
数多のきらめきを見上げ、2人は手を合わせて祈った。
「…さっきの曲、吹いてくださらない?」
とても静かな夜、俊の奏する笛の音が響く。
物悲しくも美しい調べ。
途中から、そこに弦楽器の音が加わる。
すると曲調は一変、陽気な民族舞踊曲のような愉快な調べに変わった。
すかさず、とわはババコンガの皮で作った太鼓に持ち替え、トンツクトンツク叩き出す。
俊も負けじと笛を持ち替える。先ほどの縦笛でなく、きらめく透明な鉱石製の横笛だ。
「俊さん、楽器色々扱えるんですのね。すごいわね。」
「いやいや、一部だけだよ。それに僕なんかよりもっとうまい人たくさんいるって。」
客を迎えたその家からは、夜通し様々な楽器の音が響き、時折楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
あれから数ヶ月。
たまたま立ち寄った闘技場。
いつものとわだったら、この手の娯楽には全く興味が湧かず、素通りするところだった。
ところが。
場内から上がる歓声に混じって、聞き覚えのある名前が叫ばれている。
もしやと思ったとわは観戦チケットを買い、一般客席から場内を見下ろした。
口元にたたえた笑みはそのままに、ジンオウガに猛攻を加える俊。
あの優しい音色を奏でた指は今はまた操虫棍を繰り、流れるような動きで雷狼竜を翻弄する。
ーーーこんな戦いをする人なんだ…。
あの時の雰囲気からは想像もできない、自分の命ごとぶつかっていくような激しさ。
見かけによらないものだな、とわは可笑しくなった。
本当に色々なタイプのハンターがいる。
100人いたら100通りの狩りがあるのだ、爺やが言っていたっけ。
甲虫タイプの、彼の新しい相棒は、元気にエキスを集め回っていた。
やがて、闘技場が歓声に包まれる。
肩で息をする彼は、主催者と観客にお辞儀をした後、客席の一点に向かって手を挙げた。
ーーーあら、良く見てるのね。
視線の先には、小さく手を挙げるとわ。
「怪我は大丈夫?」
「ああ、この通りだよ。」
「新しい相棒できたのね?」
「うん。あいつと似ているだろう?」
「ええ。元気そうで何よりですわ。」
通じるものは確かにある。
同じ種族でなくても。
言葉に出さなくとも。
操虫棍の動きに反応し、俊の肩にとまっていた虫が飛び立つ。
観客の波を越えて、紫の髪の娘をめがけて。
オクリモノダヨ。
そういうように、猟虫は彼女の頭上を旋回し、小さな何かを落とした。
娘の手に着地し、シャランと鳴ったそれは、女物のペンダント。
水晶を彫って象られたミニチュアの笛に、繊細なチェーンがついている。
「水晶ってね、持っていると魔除けになるし、幸せになれるんだって。」
そういえば……あの七夕の晩、彼が吹いていたのも水晶の……。
ピィィ…。
小さな小さな笛は、きっと彼女の宝物になるだろう。
fin
とわ著