「爺や、いつもありがとう…。ゆっくりしてきてね。」
とわは、兄・ワグナーと相談の上、落ち着いた温泉旅館の宿泊券をジョウジに贈った。
チェックインもチェックアウトも自由にできる。
個室に露天風呂が備わり、マッサージ師のマッサージつき。
食事は3食、部屋まで運んでくれる。
酒もソフトドリンクも飲み放題という、なんとも贅沢なプランだ。
兄妹は暑さに少しだるそうなジョウジのために、実は先月から着々と準備をしていた。
虎姫が久しぶりに実家に帰省しているので、この際皆で夏休みにしようという話である。
出発の日。
ガロンが人力車の車夫の出で立ちで、ジョウジを迎えに来る。
「乗れよ、オッサン。送るぜ。」
見送りに出てきたワグナー、とわから、新品の浴衣と下駄、どこかで見たことのある黄色の洗面器にタオルやら石鹸やらが詰まったお風呂セットを渡される。
「若、お嬢様…、かたじけのうございます。」
「いいのだ、たまには我らの世話を忘れ、ひとりでのんびりすると良いよ。」
ワグナーもとわも、小さく手を振る。
「うちのことは心配要らないわ。姉様も里帰り中だし、私達だけだから。」
「では、行って参ります。ガロン、頼んだぞ。」
ジョウジは主人たちに一礼し、人力車に乗り込む。
ひんやりした座席シート。背もたれ部分にも冷感素材が使われているのか、心地よい。
「オッサン、飲みな。俺の奢りだ。」
ガロンが元気ドリンコを1瓶、渡してきた。
ジョウジはありがたく受け取る。ほどよく冷たく、ガロンなりに気を使ったのがわかった。
「んじゃ、行くぜ。掴まってろよな。」
ガロンの人力車が、街の門をくぐり、街道へ出て行く。
ジョウジとガロンは、途中休憩を挟みながら、日暮れの頃に、温泉街へ辿り着いた。
「じゃあな、また帰りに迎えに来るぜ!ゆっくりして来いよな!」
ガロンは、車を引きつつ、背中を向ける。
「すまぬな。宜しく頼む。」
その逞しい背中を見送りながら、ジョウジはなんだか嬉しくなった。
エントランスをくぐり、宿の受付にチケットを見せる。
支配人らしき人が直ぐに現れ、自らジョウジの手荷物を運び、部屋へ案内してくれた。
どうやら、この宿で最も上等な部屋らしく、最上階を一室で占拠するほどだった。
「拙者には勿体無い部屋でござるな…。」
ウェルカムドリンクとして甘酒を飲みつつ、深々とソファに腰を下ろす。
洋間、和室と1フロアに両方あり、どちらもに寝具がある。
チェックインが遅かったので、もう用意してくれたのだろう。
甘酒を飲み干し、奥へ足を踏み入れると、居間になっていた。
先ほどフロントで言われたことによると、ここに食事を運んでくれるらしい。
ただし、部屋の玄関からではなく、専用通路から。
居間の障子を開けてみると、渓流が一望できた。
「なんと…。」
思わず感嘆の声が上がる。夜の渓流を見下ろす様に、部屋は作られていた。
遮るものは何もなく、煌々と輝く月も、渓流に光る虫たちもハッキリと確認できる。
ジョウジは、ワグナーととわの笑顔を思い浮かべた。
「絶景の宿らしいわ。」
確かに、これはなかなか…。
程なくして、夕食が運ばれてくる。
何人もの仲居さんが、御膳を幾つも運んできた。
1人分ですよね?と確認してしまうほどの量で、海の幸のみならず山の幸もふんだんに使い、実に新鮮で豪勢な夕食であった。
皆と一緒なら、もっと美味いのだろうな。
ふと、ワグナーたちを思う。
ああ、拙者はもう、誰かといるのが当たり前になっていたのだ…。
ジョウジは少なからず驚いた。
夕飯後しばらくして、マッサージ師がやって来た。
無口なマッサージ師で、でも気持ちが良くて、ジョウジは始終うとうとしていた。
力加減も絶妙、ジョウジの凝りやすい部分をよく知った風で、何も言わなくても常に具合が良い。
1時間の施術が終わり、礼を言おうと起き上がったジョウジは度肝を抜かれた。
「爺や、気持ち良かったかい?」
嬉しそうに笑うワグナーがそこに居た!
口をパクパクしているジョウジの背中を押し、ワグナーは露天風呂へといざなう。
「風呂も良いよ。」
到着すると、彼はジョウジに目隠しをする。
「ここはね、香りも音も楽しむための風呂なんだ。ほら、香の香り、虫と渓流のせせらぎを感じておくれ。」
まず足湯に浸かる。
視界が閉ざされた分、他の神経が研ぎ澄まされる。
たくさんの虫の鳴き声、水の流れる音。
ふっと、背後に人の気配がし、
「お背中お流しいたしますね。」
若い女の声がし、タオルが背中に触れる。
辞退しようと立ち上がろうとするジョウジの肩を、女はそっと押しとどめる。
丁寧に、でもこちらも絶妙な力加減で背中を流される。
「もしや…お嬢様ですか…?」
小声で聞いてみるが、彼女は答えない。
ジョウジはしばらくなされるがままになっていた。
「お湯、かけますわ…。」
その言葉で、ジョウジは確信する。
声はわざと変えているが、とわお嬢様に違いない。
手のひらで泡を落としながら、丁寧に流してくれるお嬢様。
娘に背中を流してもらうと、こんな感じだろうか。
申し訳ないのが半分、嬉しいのが半分。
背中に、頰がぴとっとつく。
ジョウジは飛び上がりそうになった。
「ふふ、いつもありがとう。大好きよ、爺や…♪」
「お嬢様!」
目隠しを取ると、浴衣のお嬢様が見上げて来ていた。
「ねえ、兄様のマッサージも、わたくしの背中流しも、気持ち良かった?」
ジョウジは頷く。
とわは良かった、と笑いながら専用通路を降りていく。
「前は自分で洗ってね♪」
ジョウジはハッと黄色い桶で前を隠した。
再び1人になり、露天風呂で手足を伸ばす。
可愛い息子2人、それから娘にも、それぞれ土産でも買わなければ…。
ついにんまりと顔の綻んでしまうジョウジであった。
渓流を涼やかな風が抜ける。
その風は、ジョウジの溜まった疲れをさらって行った…。
fin.
とわ著