「とわー。どこだー?」
「お嬢様ーー。」
「出て来ねぇと、おやつ食っちまうぞー?」
屋敷の中に、とわを探す声が響く。
とわはたくさんのドレスの間で息をひそめた。
まだ、ワグナーがセシオス坊っちゃんだった頃。とわが正真正銘のお嬢ちゃまだった頃。
広い屋敷には、使用人がたくさんいて、奇麗なドレスも、おいしい食べ物も、ふかふかのベッドも何の苦労もなく手に入った頃のお話。
とわ7歳。
今日は、姉・カレンのお見合いの日。
お見合いと言っても既に決定事項で、本人たちの顔合わせすらない、形式的なものだった。
カレンは朝からどこかに詰めていて、いつものようにとわの髪を結いに来てくれない。
大好きな姉の姿はどこにもなく、侍女たちも廊下を走るようにして行き来している。
誰かに声をかけても、まともに相手もしてくれない。
なにかあるんだ。
それはわかった。だが、その何かがわかるほど、大人では無かった。
とわは、兄・セシオスの部屋を訪ねた。
「にいさま…。」
顔をのぞかせると、ジョウジがセシオスにシャツを着せているところだった。
「カフスはこのように…。」
正装の兄に、とわは首をかしげる。
「なにしてるの?」
「姉様のお見合いなんだよ。僕も跡取りだから出席しろってさ。」
「お見合いってなあに?」
「姉様、お嫁さんに行くんだって…。」
「!!」
とわの顔色がさっと変わる。セシオスも心なしかしょんぼりしている。
「お嫁さんって…どこに?」
「カレンお嬢様は、隣国の有力者に嫁がれるのですよ。」
とわは、ジョウジの顔を見た。
いつもの爺やじゃない…。
彼の表情は良く見えなかったが、とにかく、いつもの爺やではなかった。
「…ガロンはどこ?」
とわは問う。
「ガロンは、旦那様の命で、今は離れにおりますよ。」
とわは嫌な気持ちがした。お父様はなぜガロンを離れにやるの?
暴れん坊だから?行儀が悪いから?
いつぞや、父が爺やに吐き捨てた言葉がよみがえった。
「わが屋敷にふさわしくない下賤の者など、道端にでも捨てて来い!
だいたいお前をここに置くのもわしは反対だったのだ!」
その直後食ってかかった兄の頬を、父は思い切り叩いた。
そして爺やにまた怒鳴った。
「お前がセシオスをこんな風に育てているのか!」
その光景は幼いとわの心に焼きつき、いまでもありありと思い出せるほど強烈だった。
――お父さまは嫌いだ。ねえさまをお嫁に行かせるなんて。
カレン姉のクローゼットの、ドレスの間に埋もれて隠れながら、とわは泣いた。
爺やとにいさま、ガロン以外で自分を抱いてくれるねえさま。
毎朝髪を結ってくれる優しいねえさま。
ねえさまがいなくなちゃう――!
爺や達が自分を探す声が聞こえるが、とわは一人で泣きたかった。
気のすむまでクローゼットで泣き、結局、カレンが見つけてくれるまでドレスに埋もれていたのだった。
とわは窓を開けようとした。しばらく手入れしてないのか、ぎしぎし言って開きづらい。
彼女が思い切り窓枠を叩いて、ようやく開いてくれた。
主のいなくなった部屋。
家具も当時のまま、まだ微かにカレン姉の気配の残る空間に、とわは一人でいた。
姉が嫁いで、もう6年になる。
時折来る姉からの手紙をもって、とわはここで過ごすことが多くなっていた。
昔のように、クローゼットのドレスに頭を突っ込む。
今はもう、少しカビ臭くなっていた。
一人でいるのが好き。
自分を傷つける言葉が聞こえないから。
一人でいれば、悪意のある言動から自分を守ることができる。
最近意地悪な女たちから聞いて知ったのだが、彼女の母親は、もともとこの屋敷の侍女だった。
先代の奥様、つまりカレンとセシオスの母親が病に斃れた後、妻の座についたという。
泥棒猫。女狐。様々な陰口をとわは耳にした。
爺やと兄も、つい先日家を出た。短い手紙を残して。
不思議と、当然のことの様な気がして、さびしかったが、涙は出なかった。
父は血眼で捜しまわり、見つからなかった挙句、爺やのせいにし、なおかつ兄は病死したと公に発表した。
ガロンだけは、離れに残ってくれている。
が、母屋への出入りは許されていない。
とわも、外出は基本的に禁じられた。
心労からか、セシオス達が家を出て間もなく、母が逝った。
正確な死因を、とわは知らない。
後ろ盾の無くなった彼女は、父の妻の座を狙う女たちにとったら、邪魔な存在であった。
自分の子どもが産まれたら、先妻の子どもなど目障りなだけだ。
お嬢様、と呼びつつも、女たちの彼女への対応は日に日に悪化していった。
とわの居場所は、カレンの部屋のクローゼットの中と、ガロンのいる離れだけになった。
気難しく反抗的な、可愛げのない娘。
周りの大人たちに、13歳のとわはそう、映っていただろう。
爺やとにいさまに逢いたいな――。
屋敷に、しきりと大臣が出入りするようになった頃から、とわは、ガロンと会う度にそればかり言うようになった。
ガロンもいつでも出発できるよう、ひっそりと支度を整えておく。
大好きな人にもう一度だけでも逢いたい。
心に傷を負った少女の、たった一つの願い。
―――いつしかそれは、
広大な屋敷をも包み込む、
紅蓮の炎となった―――。
fin
とわ著