「…………。」
黙るワグナーを虎姫は不思議そうに見つめる。
「…どしたの?」
ワグナーは月を仰ぐ。
「…何だか…眠れなくてね。…ねぇ虎姫。」
虎姫は答える。
「何?」
「医者に訊いたんだけど…。」
相槌をうつ。
「うん。」
「もしも前の記憶が戻ったら…今の記憶が消えるかもしれないんだ。」
「え…」
銀の髪が風でなびき、ワグナーの表情は見えない。
「だから、爺やと妹の事を思い出したら…。」
虎姫は小さく問う。
「あたしの事…忘れちゃうの?」
ワグナーもまた、呟くように答える。
「必ずそうなるとは限らないけど…。」
「…………。」
虎姫は少し間をおいた。
「いいよ、それでも…」
ワグナーは思わず虎姫を見る。
「え?」
虎姫は優しく微笑んでいた。
「だって…本当のワグナーに戻れるんでしょ?
そっちの方が大事だよ。」
「虎姫…。」
「あたしなら平気だよ…。だから、早く記憶が戻るといいよね!」
声がうわずらないように、できるだけ意識してしゃべる。
「あたし、もう寝るね!
おやすみワグナー!」
閉められた窓。
ワグナーは、そっと問いかける。
「本当に…それでいいのかい、虎姫……?」
虎姫は、カーテンを後ろ手に閉め、必死で涙を堪えていた。
――あの人の記憶から、あたしが消えるのは辛い…。
涙がこぼれそうになり、天井を仰ぐ虎姫。
――でも、あの人が本当の自分に戻れるのなら…。
嗚咽が漏れそうになり、虎姫はぐっと歯を食いしばる。
――それでもいいわ…。
――その時が来るまで…、
あたしは、あの人の傍にいる…。
――例えあたしがあの人の中から消えてしまっても。
とうとう虎姫は、しゃがみ込み、両手で顔を覆う。
―それでも…、
あたしの記憶の中に、
あの人は永遠に残るのだから……。
ワグナーも悲痛な面もちで、隣の窓を見ていた。
翌日から、ワグナーはスケッチを始めた。
本を読む虎姫。
こっちを見て、照れる虎姫。
料理を作る虎姫。
あらゆる彼女を、クロッキー帳に描き留めていく。
――記憶が戻っても、
――このひとを忘れないように…。
つづく
とわ&GG共著