葉月から長月へ、お盆も過ぎて流石の酷暑も朝夕はだいぶ和らいできたような…先月
末から今月の初めは台風10号に振り回された日本列島ですが、二百十日も過ぎて、
ようやく秋の気配が微かながらも感じられるような…この季節になると〝火打石〟は
毎年、❝秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる❞という
古今和歌集の和歌を思い出します。この和歌の作者は藤原敏行という❝平安時代前期の
貴族・歌人・書家❞ですが、この方は能書家で、「神護寺鐘銘」が現存する書跡との
こと(こちら参照)。神護寺さんといえば今週末(9/6)まで東京国立博物館で「創建
1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」」が開催されています
が、〝火打石〟は前期・後期、どちらの展示も観て参りました。『梵鐘銘拓本』
(こちら)も出品されていましたね。神護寺さんの山号は「高雄山」ですが(ウィキ
ペディア「神護寺」参照)、❝京都はもとより、日本でも有数の紅葉の名所❞(こちら
より引用)である高雄はもちろんいつか訪ねてみたい…国宝の『鳥獣戯画』を所蔵
される、明恵上人さまゆかりの栂尾山高山寺さんは何としてもお詣りせねば。
とまぁ気ばかり逸って身体はまるで追いつかない悲しさよ。今回は前回に続いて
コウノトリの記となりますが、今回を含めあと2回でGWの参詣記は終わるかな。
続いてお盆の因州・伯州の参詣記となるわけですが、これを年内に終えられるか…
ともあれ❝コウノトリゆかりの神社❞である久々比神社さん(ウィキペディアはこちら
こちらもどうぞ)の参詣記をUPさせていただきます。
※久々比神社さんの表記はウィキペディアやじゃらんネット(こちら)などでは「久久比神社」となっていますが、社号標や御朱印の墨書きでは「久々比」となっていますので、このブログでは「久々比神社」と表記させていただきました。
豊岡市祥雲寺にある兵庫県立コウノトリの郷公園から豊岡市下宮にある久々比神社
さんへ…但馬国での寺社めぐりも終わりに近づいて、コウノトリを追う〝火打石〟。
ガラスの反射で解説文が読み難くなってしまっていて申し訳ございません<(_ _)>。
「コウノトリ伝説」についてはウィキペディア「久久比神社」の「コウノトリ伝説」
をお読みになってください<(_ _)>。☟も反射でかなり読み難いのですが
12行目は❝その道の推賞のまとである。❞となります。 15行目以降は
❝…古称)と言われていたように、古来より国の特別天然記念物「コウノトリ」が数
多く大空を舞っていた地域であり、日本書紀によれば 天湯河板挙命がこの地で「コウ
ノトリ」を捕まえたと言う説が伝わる。❞となります。
久々比神社さんの御本殿は国の重要文化財に指定されています(こちら こちらも
どうぞ)。
ウィキペディア「久久比神社」の「歴史」の項には、❝本殿は三間社流造、こけら
葺き。室町時代、永正4年(1507年)の建立で、国の重要文化財に指定されている。
江戸時代の記録では胸形(宗像)大明神とも称した古社で、多紀理比売命を祀ると
いう説もある。❞とありますが、現在久々比神社さんは❛久久能智神(くくのちの
かみ)❜さまを御祭神としておられます(ウィキペディア参照 久久能智命さまに
ついてはウィキ「ククノチ」や、「日本の神様|種類と一覧」のこちらのページ、
國學院大學のこちらの解説等をお読みになってください<(_ _)>)。
多紀理比売命さまについてはウィキ「タキリビメ」や國學院大學のこちらの解説等を
お読みください<(_ _)>。久久能智命さまは木の神さまでいらっしゃますが、多紀理
比売命さまは水の神さま(こちら参照)…〝火打石〟が気になるのはこの女神さまが
「シタテルヒメ」(こちらもどうぞ)さまの母神さまでいらっしゃるということ。
ウィキには❝『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神
(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと
記されている。❞とありますが、下照比売さまはお盆の寺社めぐりでお詣りした伯耆国
の一ノ宮 倭文神社さんの御祭神(こちら参照)。以前の記事(こちら)で〝火打
石〟はこの女神さまのことを「❝西❞の女神さまなのかな?」と書かせて頂きました
が、❛伯耆国の一ノ宮❜に祀られる女神さまの母神さまが「但馬国城崎郡二十一座」
(こちら参照)の一社の御祭神…多紀理比売命さまは「宗像三女神」(こちらも
どうぞ)の一柱でいらっしゃいますが、神仏習合で弁才天さまと同一視されることの
多い市杵嶋姫命さまではなく、下照比売さまの母神とされる多紀理比売命さまを
お祀りされているのが気になった…って、これはコウノトリには関わらない話ですね
あまり深追いしても仕方ないのでこの辺で切り上げさせていただいて…。天湯河板拳
命さまについてはこちらをどうぞ(こちらも参照されたし)。この神さまの、鵠を捕えた
という神話が「鳥取」の語源なのかな?。こちらの記事を見てそう連想してしまい
ました(こちらの記事も参照されたし)。
※「鳥取」の語源についてはこちら(こちらも)等をお読みになってください。
〝火打石〟のとりとめもない与太話はさておき、実際の参詣記を(;^_^A。拝殿の
引戸に貼り紙がありますが、
コウノトリ御守と絵馬は喫茶店「アビアントット」にて授与…御朱印も「アビアン
トット」さんでいただけるとのことでそちらへ。(「AVIAN TOT」は英語で「鳥の
子」という意味でしょう(❛avian❜ 鳥(類)の/❛tot❜ 小さい子ども)。)
暗い画像で申し訳ございません<(_ _)>。totに親鳥が餌を与えていますね…「コウノ
トリが赤ちゃんを運んでくる」というのは、ヨーロッパのシュバシコウの言い伝えを
シュバシコウをコウノトリにしたものですが、久々比神社さんは子宝のお守りを頒布
されていらっしゃいます(こちらの記事をお読みになってください<(_ _)>)。
AVIAN TOTさんの店員さんに久々比神社さんの御朱印を拝受したいことを伝えて、
ケーキとコーヒーをいただきながら待つことしばし、喫茶店のマスターのような
雰囲気の宮司さんから(と〝火打石〟夫婦は思ったのですが、勘違いでしたら申し訳
ございませんm(__)m)☝の御朱印を拝受いたしました。空を翔けるコウノトリが
記された御朱印…鳥好きの〝火打石〟は大感激です。
口の利けない皇子に纏わる鳥追いの神話…天湯河板拳命さまを❝鍵❞とするこの神話は
謎めいていて、古代浪漫を偲ばせる。口の利けなかった皇子が、「鵠」を得ることで
言葉を発するようになるというこの神話…誉津別皇子さまが口を利けなかったのは、
❝母親の沙本毘売命の死のショックによるためか❞とウィキペディア「鳥養部」の
「由来」の項にあります。母の死で傷ついた子が失語し、「鵠」を得ることで発語
する…「鵠」はコウノトリに限らず❝大形の水鳥❞を指し、特に「白鳥」のことを言う
ようですが(こちら参照)、ここで思い出されるのが日本武尊(ヤマトタケル)さま
の最期…能褒野の地で倒れた日本武尊が、白鳥となって空を翔んでいったという
神話。コウノトリにせよ「白鳥」にせよ―「白鳥」がSWANを指すのか❛白い大型の
水鳥(例えば鷺とか)❜はとりあえず置いておいて―、〝火打石〟には鳥が傷つき
倒れた者たちの魂を象徴しているように感じられてならないのでした。
~追 記~
それにしても久々比神社さんの伝説が、「鵠」をコウノトリとするのは何故でしょう
か?。それについてはこちらのブログが面白い説を述べられていらっしゃいます
(こちらの記事もたいへん面白い)。まぁ確かに❝鵠(くぐい)が白鳥であろうがコウノトリであろうが、普通の人にはどうでもよいこと❞なわけですが、鳥好きとしてはそこはどうしてもこだわりたいところで…静岡市で暮らしていた頃、葵区芝原の
麻機遊水地にコウノトリが飛来したという話を聞いて(こちら参照)、私も見たいと願ったものですが、バードウォッチャーでもない〝火打石〟夫婦にそんな幸運が
訪れるわけもなく。さいたま市に戻った現在は、とりあえず飼育されている姿を
見て心を慰めることといたします。