パリオリンピックも閉会して、お盆を迎えた日本列島ですが、地震に台風と天災が
続くのは何故?。元日の能登の地震といい、選りに選って何故この時期にと遣り切れ
ない…我が家の雲行きも昨晩から荒れ気味で、せっかくの一の宮めぐりもこのままで
はとても楽しめそうにない、って、とうとう「お盆迄にGWの参詣記を書き上げる
」という願いも虚しく13日を迎えてしまった。斯くなる上は出かける前に書ける
ところまで書いておこう。今回は但馬国一の宮 出石神社さん(兵庫県公式観光
サイトのページはこちら ウィキペディアはこちら)の参詣記となります(;^_^A。
〝火打石〟夫婦が朝来市の粟鹿神社さんから豊岡市出石町宮内に御鎮座の出石神社
さんに向かい、お詣りをしようとすると、出石神社さんでは「幟まわし」といわれる
神事が斎行されていた…地元の方のお祭りの邪魔になってはいけないと思い、急遽
出石町東條の宗鏡寺さんをお詣りして、改めて出石神社さんに戻ります。
「但馬国一宮」「國幣中社」と表記がありますね。
こちら☝では判りにくいので、こちら☟の「但馬国一宮出石神社由緒」から御由緒に
ついての記述箇所をUP
☝の文中に「谿羽道主命」、「多遅麻比那良岐」というお名前がありますが、それ
ぞれネットで検索してみると「谿羽道主命」は「丹波道主命」(ウィキペディア)、
「多遅摩比多訶」「但馬日楢杵」(「れきち」)と出てくる…❝天日槍命のご子孫
には、田道間守命や神功皇后があります。❞ともありますが、「れきち」さんの「但馬
日楢杵」では、田道間守命さまは但馬日楢杵さまの御子となっています(「子」に
「多遅麻毛理」「多遅摩比多訶」「清彦」 ウィキ「田道間守」「神功皇后」も参照されたし)。
(映り込みで読みにくい箇所は❛国内第一の霊社といわれ❜とあります。)
ウィキペディア「出石神社」の「概要」や「祭神」、「歴史」の項を読むと、古代
日本と朝鮮に跨る壮大な古代浪漫の世界が広がるようでワクワクする…「概要」に、
❝この出石神社は、『古事記』や『日本書紀』に記される渡来新羅王子の天日槍伝説の
中心となる神社で、現在の祭神には天日槍が将来したという八種神宝の神霊および
天日槍自身の神霊を奉斎し、地元では出石の開拓神としても信仰される。❞とあり、
またウィキペディア「アメノヒボコ」(「霊廟」)には
アメノヒボコに関わる神社としては、但馬国一宮の出石神社(兵庫県豊岡市
出石町宮内)が知られる。この神社は『延喜式』神名帳では但馬国出石郡の
名神大社として「伊豆志坐神社八座」と記載されるが、これは『古事記』の
「伊豆志之八前大神」とも一致することから、『古事記』編纂の8世紀初頭に
遡る頃から8柱の神々が祀られていたと見られる。現在では、アメノヒボコが
将来した八種神宝の神霊が「伊豆志八前大神」として祀られるとともに、アメノ
ヒボコの神霊が併せ祀られている。この出石神社の創祀は、社伝を別とする
と、実際にはアメノヒボコを奉じる朝鮮系渡来人の一族がその将来した宝物を
祀ったことによると推測される。但馬地方では、出石神社のほかにも関係社
数社の分布が知られる(「信仰」節参照)。
とあるのですが、こうした記述をこの参詣記で追いかけても、もう一つの「但馬国
一宮」である粟鹿神社さんの参詣記(こちら)で申し上げたように、❝半可通で気障な
だけ❞になってしまいますのでここでは深追い(?)しない…お盆の一の宮めぐり
は因幡国や伯耆国に出ますので、そちらで「天日槍伝説」に巡り合えたら幸いです。
(出石の「天日槍伝説」についてはこちらもお読みになってください<(_ _)>。)
☟いただいた「出石神社由緒略記」です。
神事が終わって人が去った境内。
出石神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。
☝こちらは全国一の宮御朱印帳に授与していただいた御朱印。
御朱印に描かれている鶴のような鳥はコウノトリ…「サントリーの愛鳥活動」の
「日本の鳥百科」の「コウノトリ」の記事には、❝昭和はじめまでは、兵庫・出石では
コウノトリの繁殖する様子を見せる茶店があり、観光地になっていました。❞という
記述がありますが、〝火打石〟夫婦は出石神社さんで野生のコウノトリを見た。
(ほんの一瞬だったので写真に撮ることはできませんでしたが…) 一昨年佐渡島
で野生のトキを目にすることができましたが、今回もまた…この翌日(5/6)、
〝火打石〟夫婦は豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園と、コウノトリ伝説が
残されている久久比神社さん(豊岡市下宮御鎮座)をお詣りしました。GWの一の宮
巡拝の参詣はとりあえず出石神社さんでおしまいなのですが、5日はこの後出石町下谷
に御鎮座の石部神社さんをお詣りし、翌6日は舞鶴市と豊岡市、京丹後市で寺社めぐり
を楽しんだ…次回はその次第を超高速()の駆け足でUPいたしますね。
もう30年近く前になりますが、〝火打石〟は国立劇場の大劇場で国立劇場新作歌舞伎脚本入選作の「大力茶屋」(こちら)というお芝居を観劇しました。当時は歌舞伎をよく観ていた〝火打石〟ですが、このお芝居で「出石」という地名を知った…作者の岩豪友樹子さんは2021年8月7日、65歳で急逝されたそうですが(こちらの
記事をお読みになってください)、嗚呼、あの舞台からもう時はそんなに流れて世も変わった…芝居の作者はこの世を去り、観劇した〝火打石〟は一の宮巡拝で出石を
訪ねる…「大力茶屋」の舞台を〝火打石〟が再び観ることは無いと思いますが、観劇の記憶と共に出石神社さんも記憶しよう…若かりし頃を懐かしみながらこの参詣記を書かせていただいた〝火打石〟でした<(_ _)>。