文月も最終週となりましたが、この酷暑、いつまで続くんでしょうね?…キッチンに
冷房が無い夫の実家、調理は午前中に済ませて午後は参詣記を書くのがこのところの
〝火打石〟のルーティンなのですが、思うように捗らない。暑さで脳が蕩けて
しまっているよう。本当に、この酷暑の中、炎天下でお仕事をされている方々には
頭が下がります。だいたいこんなくそ暑い中まともに仕事をしろって方がオカシイ
かつては〝火打石〟も外回りの仕事をしていましたが、その頃でさえ真夏の都心の
午後の暑さは殺人的に感じられた…いまだったら本当に死んでたかも。ともあれ
毎日がサバイバルとなった日本の夏、無事に乗り切れたら祝杯を挙げよう…という
ことでルーティンの参詣記、今回は❝日本酒発祥の地❞庭田神社さん(こちらもどうぞ
ウィキペディアはこちら)の参詣の次第をUPいたします。
播磨国の一の宮、伊和神社さんから車を走らせて、庭田神社さんの駐車場に到着。
翻る幟には 「日本酒発祥の地 発酵のふるさと宍粟」とあります。
❝庭田神社は、平安時代の延長五年(九二七)に成立した「延喜式」神名帳の宍粟郡
七座のうちに数えられる古社で、古代・中世には播磨国一宮伊和神社と深い繋がりが
ありました。❞と☝にあります。(「宍粟郡七座」についてはウィキペディア「播磨国の式内社一覧」を参照
なさってください)。❝伊和↔於和❞というのは伊和神社さんの御由緒にもありましたね。
「由緒記」にある「天乃日槍命」を検索すると「アメノヒボコ」と出てくる(ウィキ
ペディア(こちら)、コトバンク(こちら)、こちらもどうぞ)。ウィキペディア
には❝『日本神話』・『古事記』等では渡来人、『播磨国風土記』では渡来神と位置
づけて記述される。❞とありますが(こちらも参照なさってください<(_ _)>)、「由緒記」
を続けて読むと、❝国土経営を爭い給いし時伊和の地に於て最後の交渉を終えられ…❞
とありますが、❝「渡来神」と最終交渉❞なんて、なんだか外交問題が一段落して晩餐
会が催されたって感じ。
あります。宍粟市のウェブサイト(こちら)には、宍粟市が「発酵のふるさと」と
いわれる理由が紹介されています。こちらのブログでは、「庭田神社 日本酒発祥の
地「ぬくゐの泉」という表題で、庭田神社さんを紹介されていますが、その中に
この地では、大国主命(160年頃出生)と天日槍命(230年頃出生)が
国占め争いありましたが交渉が終わり、大国主命は当地で酒を醸して
酒宴をしたとされ、当地は庭酒(にわき)村と云われていたようですが、
庭音(にわと)村と云うように変わったとされます。
庭田神社の元の名称は庭酒神社だったようです。
境内の後方に「ぬくゐの泉」と呼ばれる霊地があり、清泉が湧き出ています。
『播磨国風土記』には、この地で庭酒(俄酒=にわかさけ)が発見されたと
記述されており、「日本酒発祥の地」として伝えられています。
と解説があります。
参拝を済ませて、「ぬくゐの泉」へ…「ぬくい」と聞くと東京都練馬区の「貫井」を
思い出す〝火打石〟。練馬区立美術館があるんですよね。埼玉県にも「貫井」、
あるんですね(こちら参照)…ってそれよりこの「ぬくゐ(い)」が関係するのは
「温かい」という意味での「温(ぬく)い」かな?。発酵による微熱で❝温い❞。
☝「庭田神社のぬくゐの泉と造酒」、これは冒頭でUPした看板と同じ内容です。
庭田神社さんで拝受した御朱印はこちら(*^-^*)☟
〝火打石〟が子供の頃は毎晩五合の酒を飲んでいた〝火打石〟の父…❛ちゃんぽん❜で
飲むのも当たり前、休日は普通に陽の高いうちから飲んでいました(だから〝火打
石〟は「ちゃんぽんで飲むと悪酔いする」とか、「陽のあるうちから飲むのはだらし
ないこと」といった酒に纏わる言を長い間実感できずにいました)。さすがに
老いた現在は酒量も減り、老々介護で〝火打石〟の母の介護を頑張っていますが、
そんな父のためにお詣りした庭田神社さん(;^_^A。(〝火打石〟自身は若い頃は
それなりに嗜みましたが、10年前に大病してからは基本飲まなくなった…夫は下戸
ですので、現在の私達夫婦にはお酒は無縁なんですよね。) 「日本酒発祥の地」
でネットで情報を浚っていると、NHKのこちらの記事に、「三笑(さんしょう)」と
いう銘柄のお酒(こちら こちらもどうぞ)が紹介されていた…宍粟市内でのみ購入
可とのことですが、この日は寺社巡りを優先したので「三笑」は入手できなかった
残念無念。ウィキペディア「日本酒の歴史」にも『播磨国風土記』の記述に
触れた解説がありますが、「日本酒の発祥の地」は複数あるんだなぁ…酒と神事は
縁の深いもの、これからも父のために(?)お酒に縁のある神社仏閣を詣でよう、
そんな思いに浸る〝火打石〟なのでした。