酷暑に喘ぐ日がこれからいつまで続くのか、もう怯える気力さえ湧いてこない〝火打
石〟…室内に居ても脳が機能停止しているみたい。海の日の3連休が控える今週末
はどうやら気温は下がり(それでも30℃前後)、梅雨らしく雨も降るようですが―
さいたま市の天気についてです(こちら参照)ーまぁお空のことはこちらにはどう
することもできないわけで。できないことよりできることに注力することにして、
一の宮の参詣記の続きを(;^_^A。丹後一宮 元伊勢籠神社さんと奥宮の眞名井神社
さんをお詣りした後、籠神社さんの神宮寺だった大谷寺さんを参詣しました。
眞名井神社さんから真名井小道を経て忍橋通りへ出て、天橋立ケーブルカーの府中駅
の混雑を横目で見ながら大谷寺さんへ…さすが快晴のGW、ケーブルカー乗り場は
たいへんな賑わいでした。昨年(令和5年)のGW明け(5/8)にCOVID-19が
5類感染症に移行(こちら参照)して初めて迎えたGWですから、その賑わいもむべ
なるかな。
歩いていくと「御朱印」と記された幟が…大谷寺さんは御朱印の授与に力を入れて
いらっしゃるようですね。
大谷寺さんの山号は「天蓋山」と言われます。GWの参詣で、❝『智海』僧正作の霊験
あらたかな『黒不動明王坐像』と、京都七条仏師『康珍』作のたいへんありがたい
『阿弥陀如来坐像』❞の特別拝観に与れました。(『智海』僧正については下記で
触れます。京都七条仏師『康珍』については…ウィキペディア「七条仏所」の「主な
仏師」の項に名前が挙がっています。)
(☝の文中に❝中世には丹後一宮籠神社の別当寺として栄え❞とありますが、「別当寺」と「神宮寺」は
ほぼ同義で、要するに「神仏習合」の精神を表しているわけですね。これまでの記事で何度も書いてきましたが、日本は千年以上「神仏習合」でやってきたわけで、❛我が国の伝統❜というならこの状態こそが
伝統の姿だと〝火打石〟は思うのですが。)
籠神社さんと関わりの深い大谷寺さん…雪舟の≪天橋立図≫(こちら参照)は、京都
国立博物館で開催されていた「特別展 雪舟伝説」で5月末に観てまいりましたが、
絵を観ながらGWの一の宮詣を思い出していた…ただ絵を観るだけと、実際にその地に
足を運んだ記憶を伴って絵を目にするのとでは感激の度合いが全然違いますね。
≪天橋立図≫にも名前の記される❛僧 智海❜については「宮津市ウェブサイト」の
「第17回 大谷寺と智海」、「第29回 智恩寺再興と多宝塔」をそれぞれ検索
なさってみてくださいm(__)m。「雪舟「天橋立図」を旅する」というサイトをご覧
になっていただくと、「天橋立図」に描かれた大谷寺さんや籠神社さん、智恩寺さん
や成相寺さんについての解説を読むことができます。
「国分寺」と☝の地図にありますが、「丹後国分寺」さんは残念ながら今回はお詣り
できなかったんですよね。ウィキペディア「丹後国分寺」の「丹後国分寺跡」の項
には、❝現国分寺以前の伽藍のうち、創建期の古代国分寺の伽藍については所在も
含めて詳らかでない。遺物としては軒丸瓦・軒平瓦の2点があり、その文様は山城地方
の普賢寺跡(京田辺市)出土瓦や山陰地方の国分寺跡出土瓦と一致する点が注目
される。❞とありますが、京都府教育委員会のこちらのページには❝謎多き、丹後
国分寺❞と記されています。(「雪舟「天橋立図」を旅する」の「國分寺」のページも
どうぞ。)
(「雪舟「天橋立図」を旅する」の「大谷寺・今熊野」のページを参照なさって
ください。一色氏についてはこちらをどうぞ。)
「智海の板碑」については「宮津市ウェブサイト」の「第17回 大谷寺と智海」の
ページをお読みになってください<(_ _)>。
ます。
大谷寺さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)
…記事を書き始めた日に比べると気温は下がっていますが、それならそれで酷暑の
疲労が滲みだす〝火打石〟の心身。もう一息に参詣記が書けない。一日で一気に
仕上げたいのに脳は働かない身体は言うことを聞かない。誕生日が来ればまた年齢
が上がるわけで、嗚呼、ちっとも嬉しくないわよホントにもう。GWの参詣記を
書き終える前にお盆休みの寺社めぐりが始まってしまう。そうならないためにも
頑張らねば。次回はこの日の寺社めぐりの最後にお詣りした成相寺さんの参詣記と
させていただきますね(;^_^A。