ついに関東も梅雨入りしたこの週末、気温の変化や低気圧に参っている〝火打石〟
ですが、“泣き面に蜂”のような気の滅入る出来事が…どういう次第かアメブロで
「いいね」ができない。いくら「いいね」を押しても“アメーバIDでログイン”の
画面となり、“アメーバIDをお持ちの方”で進めようとしても振り出しに戻るといった
感じで堂々巡り。はぁ
…いったいどうしたものか
。とりあえず緊急対応して
いますが、もう少し様子を見るとするか。アメブロとは10年ばかりのおつきあい
ですが、何をいまさらなこのトラブル。突然の不具合で「いいね」を思うように
お返しできない状態、非礼をお許しくださいますようお願い申しあげますm(__)m。
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いろいろと不調の重なっている〝火打石のブログ〟ですが、ともあれ参詣記を書き
進めるとして…5/3、愛知県知立市で知立神社さんとその別当寺だった總持寺さんを
お詣りして京都府舞鶴市に入り、明けて4日は丹後国で寺社めぐり…この日は丹後国の
一の宮、籠神社さんをお詣りしました(;^_^A。
舞鶴市の宿を出て宮津市に入り、まずは“宮津郷の総産土神”、山王宮日吉神社さん
(宮津市のページはこちら ウィキペディアはこちら)をお詣りさせていただき
ました。
山王宮日吉神社さんの御由緒はこちらをどうぞ。解説には“山王宮日吉神社は、宮津
総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある「杉末神社」を摂社として平安
時代から続く神社です。御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴神(おお
なむちのかみ)で、社記によれば平安後期に杉末神社境内に勧請されたとあります。”
とありますが、摂社の杉末神社さんは“宮津の地名の由来となった当地最古の神社”
とのことで、“杉末神社は遙か昔、宮津の地に人々が住み始めた頃に、人々の守り神
として祀られた産土(うぶすな)の神です。つまり宮津の地の守り神であったわけ
で、山王の神はその神域に平安時代中頃に末社として迎えられました。”と解説に
あります。(山王宮日吉神社さんの御祭神の大山咋神さま、大己貴神さまについてはウィキペディア
「大山咋神」、「大国主」を参照なさってください<(_ _)>。)
宮津最古の神社さんをお詣りして、御朱印も拝受…山王宮日吉神社さんでは兼務社
の天橋立神社さんの御朱印も拝受できます。
本庄宗秀公についてはこちらをどうぞ。
山王宮日吉神社さんをお詣りした後、いよいよ「日本三景」の一、天橋立へ…“日本
三文殊”の一寺である智恩寺さんをお詣りしてから天橋立を歩き、天橋立神社さん
(こちらの記事もどうぞ)をお詣りしました。(智恩寺さんの参詣記は次回UP
いたします。)
話は脱線しますが、文中に名前の挙がる小式部内侍の母の和泉式部は今年の大河のヒロイン 紫式部と
同じく藤原道長の娘の彰子(一条天皇中宮)に出仕したのですが、ドラマでは誰が演じるのかなぁ。
この日は智恩寺さんをお詣りして、天橋立神社さんまで歩き、車に戻って籠神社さん
を参拝…天橋立は途中までしか歩いていないんですね。
山王宮日吉神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。
今回天橋立を訪れたことで、一応、三景をすべて観光したことになる〝火打石〟夫婦
…とはいえいつも慌ただしく、名所遊覧した気分にはなれていない。貧乏性丸出し
。それでも一の宮をお詣りできたのですから満足、満足(;^_^A。駆け足になり
ますが、「丹後国で寺社めぐり」、続けさせていただきますね。