水無月も半ば近くになるというのに関東はまだ梅雨入りしない…「関東甲信の梅雨
入りは記録的に遅く、梅雨が来ないうちに夏が来たとなる可能性も」などという記事
(こちら)も見かけますが、気が滅入るなぁ。雨降りは外出の際は厄介ですが、
空梅雨で猛暑に水不足になるのは勘弁してほしい。暑さに弱い〝火打石〟には
憂鬱な季節の到来ですが、思い起こせば今年のGWは結構暑かった…GW後半の5月の
4連休に一の宮巡拝のため丹後国・但馬国・播磨国に出撃した〝火打石〟夫婦ですが、
写真を見返すとピーカンの青空(旅行最終日の6日は雨に降られましたが)。
嗚呼、あれからもう一月以上経ってしまったのか…弥生の「津軽国」一の宮 岩木山
神社さん(こちら)の参詣記を書き終えて、今回からはGWの一の宮巡拝記をUP
させていただく予定ですが、果たしてどんな参詣記に仕上がることやら。拙いもの
になってしまうとは思いますが、興味を持たれた方は目を通してやってください
ませ(;^_^A。よろしくお願い申し上げますm(__)m。
今年のGWは、ほぼカレンダーどおりのお休みとなった〝火打石〟の夫。前半の卯月の
3連休は中日の28日に箱根のポーラ美術館で「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」
を観てまいりましたが、その5日後の5/3、再び東名に乗って丹後を目指す…途中、
お約束の富士山の絶景。静岡県民だった頃は、☝のような景色を目にすることは
珍しくなかったのですが…
さいたま市から宿を取った舞鶴市まで約600㎞…旅行1日目は移動に費やされたわけ
ですが、途中、三河国二の宮、「東海道三社」(こちら参照)の一社である知立神社
さん(ウィキペディアはこちら)をお詣りさせていただきました。
「三河國一之宮」は愛知県豊川市に御鎮座の砥鹿神社さん(ウィキペディアはこちら)です。知立神社
さんについては愛知県の公式観光サイト(こちら)や知立市のサイト(こちら)、「西三河ぐるっと
ナビ」のページ(こちら)を参照なさってください<(_ _)>。「西三河」の呼称についてはウィキ「三河国」の
「西三河・東三河」の項やこちらのページを参照なさってください<(_ _)>。
「東海道三社」の他の二社は三嶋大社さん、熱田神宮さん(もしくは砥鹿神社さん こちら参照)との
ことですが、これについては「トリップアドバイザー」のこちらの記事を読むとなんだか切ない気分に
させられる…まぁ確かに「東海道三社」という呼称はあまり聞かないのですが。
刈谷、岡崎、名古屋、豊田…静岡県民だった頃は時々出かけていた所ですが、現在の
〝火打石〟夫婦にとっては気軽には出られない所になってしまったなぁ。知立神社
さんも静岡在住の時にお詣りしておきたかったのですが叶わなかった。
〝火打石〟夫婦は5/3にお詣りしたわけですが、この日知立神社さんは「知立まつり」
(知立市のページはこちら ウィキペディアはこちら)が斎行されていてすごい人の
出でした。(「境内案内」はこちらをどうぞ。)
☝多宝塔。“明治初年の廃仏毀釈を免れた神社境内の多宝塔は全国的にもきわめて貴重
です。”とのこと。
☝神池。“この神池は江戸時代に当地が「池鯉鮒宿」と表記されていた元とも言われ、
今でも多くの鯉が見られます。享保17年(1732年)に造られた石造りの橋が架かって
おり、鯉が眼病を患った長者の娘の身代わりになったという「片目の鯉」の伝説地
でもあります。”と知立神社さんの公式サイトの解説にあります(「片目の鯉」の伝説
についてはこちらをどうぞ)。
☝こちらは拝殿。公式サイトには、“知立神社の社殿は、「尾張造り」と呼ばれる独特
の社殿配置を形成しています。これは尾張地方特有の社殿配置であり、三河の地方に
建つ尾張式の社殿群はその珍しい例外であります。”とあります(ウィキペディア
には“社殿配置は「尾張造」と呼ばれるもので、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を
縦長に接続する。この尾張造は、尾張地方には多いが三河地方では珍しく、知立神社
社殿はその三河への伝播を表す遺構になる。”とあります)。
昨年(2023年)の大河ドラマ『どうする家康』で、松井玲奈さんが演じたお万の方
(こちら)は、“天文17年(1548年)、三河国知鯉鮒明神の社人・永見貞英(志摩
守)の娘として誕生”されたそうですね。ウィキペディア「長勝院」には☝の写真が
掲載されています(それにしても三河では『家康』の名残をあまり目にしなかった
なぁ…岡崎は神君の生まれ故郷なのに)。
「池鯉鮒」という表記についてはこちらをどうぞ。愛知県の公式観光サイトの
「池鯉鮒宿」もお読みになってください<(_ _)>。中日新聞社のこちらの記事も興味
深い…「名古屋神社ガイド」の「池鯉鮒社(魁町)」も面白い。東海地方に居た
ならば、「池鯉鮒大明神」についてもっと調べられたでしょうが、埼玉県民となった
今では「池鯉鮒」は遠くなってしまった…
☝御由緒の掲示はあったのですが写真にすると読めない…
“知立神社の歴史・由緒”については知立神社さんの公式サイト(こちら)をお読み
ください<(_ _)>。「御祭神」に、「伊知理生命」さまの御名前はありませんね
(こちら参照)。ウィキペディア「知立神社」の「祭神」の項には、相殿神に“青海首
命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方の開拓にあたったと伝える人物”と聖徳
太子とあります。“祭神について文献では、日本武尊従者の大伴武日や吉備武彦とする
説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説が挙げられ
ている。”とも。でもやっぱり伊知理生命さまの御名前は挙がらない…
知立神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。
「知立まつり」で人が溢れていた知立神社さん。〝火打石〟夫婦はお祭りに合わせて
お詣りしたわけではないのですが、5台の山車が宮入りする本祭りの迫力にすっかり
圧倒されてしまいました。
できれば「山車文楽 からくり」の上演もすべて見物したかったのですが、如何せん
そこまでの余裕は無かった…この後知立神社の別当寺だった總持寺さんをお詣り
して西への旅に戻る…3日は知立市で寺社めぐりとなりました。次回總持寺さんの
参詣記をUPいたしますね(;^_^A。