前回の記事で宝来山神社さんの神宮寺である神願寺さん(こちら参照)は残念ながら

 

お詣りできなかったと記した〝火打石〟ですが、写真を整理していたら、間抜けな

 

ことに神願寺さんをお詣りしていたことが判明ガーン

 

 

 

   

 

 

     

 

 

宝来山神社さんの御住所はかつらぎ町大字萩原56、神願寺さんはかつらぎ町萩原55…

 

宝来神社さんをお詣りした折、お隣のお寺さんもお詣りしたのですが、そちらが

 

神願寺さんだったという次第ドクロ。寺号標をカメラに収めたのに…「延命院」の表札?

 

に気を取られてうっかりしてしまったショボーン。申し訳ございません<(_ _)>。

 

 

 ☜こちらには「宝来山 神願寺」とあります汗

 

 

お詣りした際は人がいらっしゃらなかったようで、御朱印も拝受できなかったのです

 

が、とにもかくにもブログでうっかりミスを犯してしまい申し訳ございませんでした<(_ _)>。

 

 

 

 

 

 

 

睦月六日は伊都郡で寺社めぐりをした後、翌七日の熊野詣に向けて最後に「熊野一の

 

鳥居」 藤白神社さん(海南市観光協会のページはこちら 和歌山県神社庁のページ

 

こちら ウィキペディアはこちら) を参拝…昨年の年始に熊野三山を詣でた

 

〝火打石〟夫婦ですが、昨冬は応挙芦雪館のあるお寺 無量寺さん(串本町 こちら

 

参照)や、「補陀洛渡海」で知られる補陀洛山寺さん(那智勝浦町)をお詣りでき

 

なかったので、宿を新宮市に移して紀伊国旅行最後の一日は熊野詣を再びあせる。六日

 

午後、かつらぎ町から海南市に出て藤白神社さんをお詣りし、新宮市の宿へ向かい

 

ました。今回の記事は六日の藤白神社さんの参詣記です。

 

※かつらぎ町、海南市、新宮市の位置関係は和歌山県の地図を参照なさってください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは藤白神社さんの本殿(公式ウェブサイトの「境内案内」をご覧になって

 

ください<(_ _)>)。“藤白神社は、熊野参詣道(熊野古道)紀伊路の藤白王子跡と

 

して、熊野一の鳥居 (熊野の入り口)と称されいます。本殿には神様、藤白王子

 

権現堂には本地仏として仏様が祀られ、神仏霊場、和歌山清浄の道の第7番となって

 

います。”と公式ウェブサイトのトップページにありますが(御由緒はこちら)、この

 

日私たちは宮司さんのご好意で権現堂の木造熊野三所権現本地仏坐像こちらもお読みに

 

なってください<(_ _)>)拝観させていただきました。感激照れ

 

※「神仏霊場 清浄の道」については、「神仏霊場会」の「参加霊場一覧」、「和歌山 清浄の道」の

 ページをご覧になってください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

 

 

「藤代五躰王子」についてはウィキペディア「九十九王子」を参照なさってください

 

<(_ _)>。「概要」の「五体王子」の項には、“九十九王子の中には五体王子(ごたい

 

おうじ)と呼ばれる王子があり、他とは格式を異にするとされる。これらは一般に、

 

熊野の主神の御子神ないし眷属神として三山に祀られる神々のなかでも、五所王子と

 

呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社であり、三山

 

から勧請したものと考えられている。”、“現在では、藤代王子切目王子稲葉根

 

王子滝尻王子発心門王子の5社とするのが一般的である。”とあります(コトバンク

 

の「五体王子」も参照されたし)

 

     

 

 

 

 

 

 

「史跡 藤白王子跡」については海南市のこちらのページをどうぞ(こちらも)。

 

“後鳥羽上皇の「熊野懐紙」御宸翰”については「文化遺産オンライン」のこちら

 

ページや「e国宝」のこちらのページ、またこちらの記事などをお読みになって

 

ください<(_ _)>。

 

 

    

 

 

後鳥羽院…『鎌倉殿の13人』の尾上松也さんの熱演が目に浮かんできますね照れ

 

〝火打石〟は塚本邦雄の『菊帝悲歌―小説後鳥羽院』も思い浮かべた…

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

   

 

   

大河ドラマ絡み(?)で…聖皇三代重石は、“宇多・花山・白河上皇の熊野御幸を記念

 

して建てられたもの”とありますが、『光る君へ』の花山天皇ゆかりの史跡が目。花山

 

天皇は藤原兼家の陰謀により出家させられますが(寛和の変)、ウィキペディア

 

花山天皇」には

 

 

出家した上皇は播磨国書写山圓教寺に入り、やがて比叡山延暦寺に登って戒壇院で

灌頂受戒し、法皇となった後には、奈良時代初期に徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印

を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺兵庫県宝塚市)でこの宝印を

探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力

を身につけたという。この花山法皇の観音巡礼が「西国三十三所巡礼」として現在

でも継承されており、各霊場で詠んだ御製和歌御詠歌となっている。

 

 

とある…花山天皇の「出家後」の姿は『光る君へ』ではほとんど描かれないでしょう

 

が、“紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身に

 

つけた”なんて聞くと、「あの花山天皇がビックリマーク」となんだかドキドキ?しちゃいますねあせる

 

 

 

   摂社の恵比寿神社と巴神社

 

 

 

     

 

 

 

 

   

 

 

 

 

〝火打石〟の父もかなりの酒呑みなのですが(若い頃は毎晩五合呑んでた汗)、老々

 

介護を頑張っていて、まだ円座石のお世話にはならなくてもいいかなはてなマーク

 

 

 

 

☝末社の祇園神社、秋葉神社、住吉神社、塩釜神社。

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

南方熊楠をリスペクトしている〝火打石〟夫婦ですが、ウィキペディア「南方熊楠

 

を読むと、“南方家は、海南市にある藤白神社を信仰していた。藤白神社には熊野神

 

籠るといわれる子守楠神社があり、藤白の「藤」と熊野の「熊」そして、この大

 

「楠」の3文字から名前をとると健康で長寿を授かるという風習がある。南方家の

 

子どもたちは、全て藤白神社から名を授けてもらっているが、熊楠は特に体が

 

弱かったため、「熊」と「楠」の二文字を授かった。”(「来歴」)と記されています目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲劇の皇子、有間皇子をお祀りする有間皇子神社…有間皇子の辞世の歌を〝火打石〟

 

は子供の頃に知りましたが、その辞世歌ゆかりの地を〇十年経って訪れることになる

 

とはびっくり。感慨無量照れ…でも悲しいことにそのお墓はお詣りできなかったえーん(毎度の

 

ことながら時間に余裕が無かったドクロ)。有間皇子の史跡については海南市のこちら

 

ページや「わかやま歴史物語」のこちらのページ、「ぐるりん関西」のこちら

 

ページ等をご覧になってください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

解説がぼけてたいへん読みにくくなってしまって申し訳ございません<(_ _)>。

 

「熊野参詣道紀伊路 藤白王子跡」についてはこちらをご覧になってください汗

 

記事で併せて紹介されている地蔵峰寺さんは残念ながら今回はお詣りできません

 

でしたショボーン

 

 

   

 

 

ウィキペディア「藤白神社」の解説には、“藤白鈴木氏が代々神職を務め、鈴木姓の

 

発祥の地とされる鈴木屋敷がある。”とあるのですが…こちらの記事を読んでいる

 

と、“その中でも世界的な自動車メーカー「スズキ」、総合商社「鈴与」など静岡県は

 

特に多い印象があり、実際に人口当たり鈴木さんが占める割合は静岡県が47都道府県

 

で1位!”と書かれていて、元静岡県民としてはへぇ…と唸らされましたあせる。(静岡市

 

で暮らしていた頃、特に「鈴木さん」が多いという印象は無かったので汗。まぁ

 

〝火打石〟があまり人づきあいをしなかったせいもあるのでしょうがドクロ。) この日

 

〝火打石〟夫婦は残念ながら鈴木屋敷は訪ねなかったのですがショボーン

 

※鈴木屋敷については海南市のこちらのページや、海南市観光協会のこちらのページもお読みになって

 ください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤白神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。夫は牛王宝印のお札も拝受して

 

いましたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参詣を終える頃には空も暗くなり始めて、本日の寺社めぐりはこれにて終了汗…この

 

後新宮市に向かったわけですが、宿に入る前に“30年物の馴れ鮓などディープな

 

郷土料理が体験できるお店”、東宝茶屋さんで馴れ鮓やうな重をいただきました照れ

 

うなぎは関西風(こちら等参照)で、表面はカリッ、中はフワッ…夫は香ばしく

 

焼けた料理が好みなので関東風より関西風を好むかな?。〝火打石〟はどっちも

 

大好きラブラブ。馴れ鮓もおいしくいただいて、翌日の熊野詣に備える…次回から再びの

 

熊野詣の参詣記を駆け足でUPさせていただきますね(;^_^A。