前回の記事は紀伊國一之宮 丹生都比売神社さんの参詣記でしたが、ブログは書き

 

進まない割に一の宮めぐり(こちら参照)はまぁ順調に進んでいまして汗…弥生には

 

JR東日本の「キュンパス」を利用して“津軽国”一の宮の岩木山神社さんを参拝、今度

 

のGWには丹後一宮 元伊勢籠神社さん、但馬一宮の出石神社さんと粟鹿神社さん、

 

播磨国一の宮の伊和神社さんを巡拝予定音譜音譜…そしてできれば長月には美術展鑑賞と

 

併せて丹波國一之宮  出雲大神宮さんをお詣りしたいあせる。岩木山神社さんを参拝

 

して、東日本の一の宮は残すところ“蝦夷国新一の宮” 北海道神宮さんとなったわけ

 

ですが、せっかく埼玉県から北海道へ出るのならたっぷり時間を取って旅したいと

 

考え、ひとまず西国の一の宮の巡拝を進めることに照れ。一の宮の参詣記は順次ブログ

 

にUPしていくつもりですが、弥生の岩木山神社さんの参詣はいつ挙げることができる

 

ドクロ…とにかく頑張って紀伊国の参詣記を書き進めていきます汗

 

 

岩木山神社さんは「一の宮巡拝会」では“津軽国”の一の宮とされていますが(こちら参照)、「津軽」

は「国」ではない…“津軽郡(つがるぐん)は、青森県陸奥国)にあった”とウィキペディア

こちら)にあるように、「陸奥国」の一部ということになりますね。北海道神宮さんの「蝦夷国」

も、「蝦夷」/「蝦夷地」は「国」ではない(戊辰戦争時の「蝦夷共和国」は一の宮巡拝とは関係ない

でしょう)。「一の宮巡拝会」は「陸奥国」の定義?が曖昧な気がする(「旧国名」参照)…このこと

について書き始めると長くなるので今回は割愛いたしますが、一つだけ言わせていただくと、「陸奥国

一の宮」を四社、「岩代国」と「陸中国」にそれぞれ一社を定めるなら、「出羽国」の一の宮もそれに

準じたかたちにすべきなのでは?。「岩代国」や「陸中国」の一の宮があるなら「磐城国」の一の宮や

羽前国」、「羽後国」の一の宮があるべき…昨夏「出羽國一の宮」の鳥海山大物忌神社さんをお詣り

した際も、そんなことを考えていました。

 

 

 

 

 

     

 

(扁額の文字が影で読みづらくなって申し訳ございません<(_ _)>。こちらに拠れば

この扁額は“後柏原天皇御宸筆の神位勲位の勅額(正一位勲八等日本第一大福田宝来山大明神)”だそうです。

 

 

一の宮巡拝の参詣記はさておき、紀伊国の寺社めぐりの続きを…かつらぎ町の

 

丹生都比売神社さんをお詣りした後、前日に続いて高野山を参詣しようとお山を

 

上った“火打石”夫婦でしたが、雪に降られて敢え無く下山(苅萱堂のみ参詣)えーん

 

再びかつらぎ町で寺社めぐり…かつらぎ町萩原に御鎮座の宝来山神社さん(かつらぎ

 

町観光協会のページはこちら ウィキペディアはこちら 和歌山県神社庁のページは

 

こちら)をお詣りしましたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝来山神社さんの御由緒はこちらをどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿と幣殿、本殿の位置関係については宝来山神社さんのHPの「境内マップ」を

 

ご覧になってください<(_ _)>。

 

 

 

 

    

 

  「本社四殿」(「ご祭神」「宝来山神社本殿」参照)

 

※「文化遺産オンライン」の「宝来山神社本殿(第一殿)」も参照されたし。

 

 

 

 

   「末社殿 東殿」

 

「末社殿 西殿」  

 

 

   境内社 稲荷神社

 

 

境内社 弁財天社 

 

 

   

 

 

  奥宮も参拝しましたニコニコ

 

 

 

 

   

 

 

 

☟いただいた参拝の栞からUPさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝来山神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。

 

 

 

 

 

 

 

ウィキペディア「寶來山神社」の「歴史」の項に目を通すと、

 

 

当神社の神宮寺である神願寺源満仲が創建し、その三男の源賢が住職をしていた

寺院であるが、鎌倉時代には荒廃していた。そこに、神護寺の復興に尽力した文覚

熊野からの帰りにこの地を訪れ、再興している。

 

 

とあるのですが、源満仲は平安時代中期の武将で、

 

 

また寛和元年(986年)に起きた花山天皇退位事件に際し、花山天皇を宮中から連れ

出した藤原道兼を警護した「なにがしといふいみじき源氏の武者たち」とは、満仲の

一族であったと考えられている。この政変後、満仲と主従関係にあったとみられる

藤原兼家一条天皇摂政に就任した。

 

 

とウィキペディア「源満仲」の「生涯」の項にあります。文覚は『鎌倉殿の13人』の

 

世界の人物、源満仲は『光る君へ』の世界の人物…なのですが「相関図」には名前が

 

出ていないようですね汗。この時は神願寺さん(こちらの記事をお読みになって

 

ください<(_ _)>)はお詣りしなかったのですが、今思えば残念だったなぁ叫び

 

宝来山神社さんをお詣りした時は、恥ずかしながら上記のようなことは全く

 

知らなかったので仕方ないのですが汗。思わぬところで思わぬ知識を得る、参詣記を

 

書く楽しみはこういうことにあると感じている〝火打石〟なのでした。