令和6年度が始まって、スギ花粉やら黄砂やら、あまりありがたくないものが宙を舞う

 

季節となったこの頃…って、花粉や黄砂を忌むのは人間の勝手ですが、まぁそれも

 

仕方ないショボーン。春先は鬱気味な〝火打石〟ですが、「紀伊国で(再び)寺社めぐり」

 

も、年始の和歌山旅行のメインの一つだった高野山詣の参詣記を書き上げて、残る

 

紀伊国の寺社の参詣記も早くUPせねばと心が逸る汗…今回から睦月七日の参詣記と

 

なりますが、この日は午前中に今回の旅の一番の目的、紀伊国一之宮の丹生都比売

 

神社さん(こちら)を参詣、午後は前日の高野山詣の続きをと予定していたのです

 

が、前回の記事に記したとおり、雪に降られて高野山は早々に下山えーん。と午後は予定

 

が狂ったわけですが、それはさておき午前の参詣記を(;^_^A。

 

 

 

 

 

世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道」(こちらもどうぞ こちらも ウィキペディア

 

こちら)…〝火打石〟夫婦は昨年「熊野三山」を詣でて今年は「高野山」を詣で

 

ましたが「吉野・大峯」はまだお詣りしていないえーんえーんえーん。いつか必ずそのお詣りは

 

果たすメラメラメラメラメラメラ…と虎視眈々とそのチャンスを窺っている〝火打石〟。

 

 

 

 

この日は九度山町丹生官省符神社さん(こちらもどうぞ 和歌山県世界遺産

 

センターのページはこちら)から寺社めぐりをスタート。丹生官省符神社さんは“本殿

 

は国の重要文化財(建造物)、境内は国の史跡高野山参詣道」を構成する

 

町石道」の一部として史跡に指定されている。ユネスコ世界遺産紀伊山地の

 

霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部として登録されて

 

いる”とウィキペディア(こちら)に解説があります(「高野山参詣道」については

 

こちらをどうぞ)。

 

 

    

 

 

「弘法大師創建の社」と案内にありますが、ウィキペディア「丹生官省符神社」の

 

「歴史」の項には

 

 

 空海(弘法大師)が真言密教の道場の根拠地を求め歩いて大和国宇智郡に入った

 とき、そこで猟師の姿に扮した地主神・狩場明神(高野御子大神)に紀伊国

 ある霊地・高野山の存在を教えられた。狩場明神はその使いである白・黒二匹の

 に空海を高野山まで導かせた。この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇

 から高野山の地を賜った。この縁により、空海は高野山の地主神狩場明神とその

 母である丹生都比売大神を高野山の入り口である当地に丹生高野明神社として

 祀ることとした。(以下略)

 

とあります(丹生官省符神社さんの「ご案内」のページもお読みください)。

 

 

 

     

 

 

☝の看板に「通称名 慈尊院 丹生官省符神社」とありますが、“当社の建立と同時に

 

当社の入り口である石段の下には高野山の政所として慈氏寺(現・慈尊院)も建立

 

されている。慈氏寺の壇(弥勒の壇)と神通寺の壇(明神の壇)を合わせて慈尊院と

 

呼ばれた。”とウィキペディアにあります(「歴史」)。“明治初年の廃仏毀釈までは

 

境内に仏教関連建造物が建ち並び、慈尊院と一体で信仰を集めた。”とこちらの記事に

 

記されていますが、“明治時代に慈尊院から独立し、1910年(明治43年)に九度山、

 

入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀している。また、郷社に列せられ

 

ている。1946年昭和21年)、丹生官省符神社の社号に改められた。”とのこと

 

(ウィキペディアより)。慈尊院さんの参詣記は次回UPいたしますねあせる

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

   ☝写真が暗くて申し訳ございません。丹生官省符神社さんの「境内」のページもお読みください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

119段の石段を上ると二ノ鳥居が目。扁額には  とあります。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

境内にある矢印を記された石  から「高野富士」が遥拝できます。

 

※高野富士(楊柳山)についてはこちらこちらも)をどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

丹生省符神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。

 

 

 

 

 

高野明神さまは「丹生都比売大神の御子神」であられます(こちら)。

 

 

 

 

 

☝こちらの絵札(?)も拝受(*^-^*)。

 

 

 

   

 

 

丹生官省符神社さんは真田幸村公が奉納されたとされる一文字太刀を御神宝とされて

 

います(こちら)。丹生官省符神社さんが鎮座される九度山町は、幸村公が父・昌幸

 

公と共に蟄居させられた地。〝火打石〟夫婦は『真田丸』のファンではありません

 

が、この後真田庵もお詣りさせていただきましたニコニコ。(真田幸村公については

 

こちら

 

 

 

 

 

 

 

丹生官省符号神社さんをお詣りした後、勝利寺さん(和歌山県公式観光サイトの

 

ページはこちら こちらもどうぞ)をお詣りしました。

 

 

  石段がかなりキツかった汗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“勝利寺というお寺は全国でも1つしか無く、昔はプロ野球球団も必勝祈願に訪れた

 

ことのある寺です”とのこと(こちら)。勝利寺さんは“弘法大師が42歳の時、厄除

 

観音を祀られたお寺です。高野山表参道の玄関口で、高野山への宿泊客や参詣者で

 

賑わったと伝えられています。このお寺は、慈尊院よりも前に建てられたといわれて

 

います。”(こちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝利寺さんの御朱印は慈尊院さんで授与していただきましたニコニコ。続いてお詣りした

 

慈尊院さんは「女人高野」のお寺さんの一つ…次回参詣記をUPいたしますねあせる