気がつけば弥生三月雛祭りももう間近に迫っているというのに、心は鈍色冬景色の

 

〝火打石〟ショボーン。あれこれ不調の出る更年期のお年頃とはいえ、今年は常より不調の

 

具合が大きいようなドクロ…まぁその原因はそれなりに思い当たるところもあるのです

 

が、闇に囚われていても仕方がないので約一週間ぶりに紀伊国参詣記の続きを。前回

 

は高野山の壇上伽藍の参詣記でしたが、今回は金剛峯寺さんの参詣記…金剛峯寺さん

 

の正式な号は「高野山金剛峯寺」とウィキペディア(こちら)にありますが、ウィキ

 

には続いて

 

 

 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし

 高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺の山号

 が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山

 全体と同義であった。

 

 

とあります。“真言宗の総本山”、高野山金剛峯寺…学校の授業で「“平安仏教”は

 

真言宗天台宗、開祖は真言宗が弘法大師空海で天台宗が伝教大師最澄」などと覚え

 

させられた方は多いと思いますが(〝火打石〟もそう汗)、〝火打石〟夫婦は2019年

 

(平成31年)4月に“天台宗の総本山”、比叡山延暦寺(ウィキペディアはこちら)を

 

お詣りしていて、今回の高野山参詣で「平安仏教」の総本山をどちらもお詣りできた

 

ことになるニコニコ。(これで青森県の恐山を参拝すれば「日本三大霊場」をすべてお詣り

 

したことになるビックリマーク。) 比叡山をお詣りしたのは平成最後の日、4月30日で冷たい雨

 

が降っていましたが今回の高野山のお詣りは睦月六日、鈍色の冬空の下での参詣…

 

 

※「日本三大霊場」とは、ネットで検索すると比叡山、高野山、恐山と出てきます(恐山については

 こちら ウィキペディアはこちら)。「日本三大霊山」とも言うようですが、「霊山」となると

 “富士山白山立山”を指すよう(ウィキペディア「日本三霊山」参照)。「三霊山」の神社さん

 (富士山本宮浅間大社白山比咩神社雄山神社)も〝火打石〟夫婦はお詣りしていますが、こう

 なってくると―いえ、そうならなくても―恐山菩提寺さん(ウィキはこちら)をお詣りしたいメラメラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壇上伽藍から金剛峯寺さんへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝観の受付を済ませて内拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いただいた参拝の栞に「襖絵撮影禁止」とありますが、結局堂内では写真を撮らな

 

かった〝火打石〟夫婦汗。栞の「寺内のみどころ」をUPいたしますねあせる。金剛峯寺

 

さんの公式ウェブサイトの「寺内のみどころ」もどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「柳の間」が「秀次自刃の間」と言われることに衝撃を受け―そういえば「豊臣秀次

 

は高野山で切腹させられた」なんて日本史の授業で聞いたような…で、その“現場”が

 

目の前に目という衝撃―売店で家の仏壇に供える御線香を購入した〝火打石〟夫婦。

 

拝観を終えて再び外へ出て境内の拝観を続行ニコニコ

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御朱印や御札も授与していただき…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

金剛峯寺さんをお詣りし、続いて大師教会(こちら)と霊寶館(こちら)を拝観した

 

〝火打石〟夫婦。霊寶館では思いがけず「高岳親王」さまの肖像(≪真如像≫)を目に

 

することができた音譜。次回UPいたしますね(;^_^A。