明日は節分…暦の上ではもう春になるわけですが、現実は冬本番なわけで、若い頃は
寒さに強かった〝火打石〟も、今は人並みに春を待ち侘びるように。そんな季節に
お盆の参詣記を書き続け、今回やっと書き終える…その間COVID-19に感染したり、
カンピロバクターに苦しめられたり(身の程知らずに高級店の焼鳥を食べたら4日後に
発熱と下痢を発症、3日で回復しましたが☜病院や薬のお世話にはなりませんでした)、
はたまた高野山を詣でたり…もちろん美術展も鑑賞したり。それにしても何かを
する度に、己の老いを実感する今日この頃。以前は一日5展は行けた美術展も
今では3展が精一杯。三日で一記事書き上げられたブログも今では。嗚呼、
嘆いていても始まらない、立石寺さんの参詣記を書き上げねば。今回は開山堂と
五大堂の記事(こちら参照)…
石段の参道を上り続け、山内の四寺院をお詣りし、奥之院を詣でて開山堂(こちらも
どうぞ こちらも)へ。立石寺さんの開山は、公式HPの「立石寺について」では
“創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。”と
あるのですが、“慈覚大師さま(ウィキペディアはこちら)の開山”についてはウィキ
ペディア「立石寺」の「歴史」の、「創建」と「円仁の入定窟」の解説が面白い…
関東や東北のお寺さんでは慈覚大師さまの御名前を聞くことが多いのですが、これは
静岡在住時のお寺めぐりでは無かったことで、こうした違いも寺社めぐりの面白さと
〝火打石〟は感じています。
※「円仁の入定窟」についてはこちらをどうぞ。こちらも参照されたし。コトバンク
にも「伝慈覚大師入定窟」の解説があります。
納経堂の真下の崖が慈覚大師さまの入定窟と言われています。
“山寺随一の展望台”の五大堂からの眺め…まさに絶景でした。いくつか写真をUP
しますが、こればかりは実際に目で見ないとその素晴らしさはわからない…あの感激
はいまでも鮮烈に思い出せます。
(右の写真は参道で撮影したもの)
五大堂で絶景を堪能し、元来た参道を下ります。
1015段(ウィキペディア「立石寺」“交通アクセス”参照)の石段を上ってお詣りした
立石寺さんの奥の院。「出羽国で寺社めぐり」のラストは絶景で締め括られた
…鳥海山に登れなかったり、出羽三山の寺社めぐりが不完全燃焼気味だったり、若干
残念だったところもある今回の「出羽国で寺社めぐり」でしたが、山寺立石寺さんの
絶景でそんな不満(?)は吹っ飛んで、感激に浸りながら武蔵国へ戻れました。
☝いただいた参拝の栞です。立石寺さんには清和天皇の御宝塔があります。
☝山寺日枝神社さんの参拝の栞(「御祭神」と「御由緒」を抜粋)。前々回の記事で
挙げておくべきだったのですが、うっかりしてしまって。改めてここで挙げさせて
いただきます(;^_^A。
立石寺さんで今回拝受した御朱印、御朱印帳と御札…アマビエの御札、今となっては
懐かしささえ感じるアマビエですが、世間で話題に上らなくなったとはいえCOVID-
19はまだ終息したわけではないんですよね。疫病も天災も、忘れた頃にやって
くる…備えがあっても憂いが無くなることはありませんが、私たちの平穏な日常は
いつ崩されるかわからないということを常に肝に銘じて日を過ごそうと、感染症や
地震を目の当たりにして改めて実感する〝火打石〟でした。