大寒も過ぎて1週間になり、寒さも本番となってきたようですが、それでも〝火打石〟

 

の住むさいたまは風の冷たさが身に染みるくらいだからまだ良い…大雪に見舞われて

 

いる地域の方々のことを思えば汗。現在参詣記を書いている出羽国=山形県も雪が

 

降るんだろうなぁショボーン…今回の記事は天童市の若松寺さん(山形県公式観光サイトの

 

ページはこちら 天童市のページはこちら  ウィキペディアはこちら)の参詣記

 

ですが、若松寺さんも雪が積もっていらっしゃるのか…UPするのは真夏の写真なので

 

もう季節のずれが半端ないドクロドクロドクロ。真冬に真夏の参詣記なんて情けない限りですが、

 

おつきあいくだされば幸いですあせる

 

 

 

 

(公式ホームページの「若松観音 参拝順路絵図」をご覧になってください<(_ _)>。)

 

 

 

百日紅の花が満開…嗚呼、冬に夏の景色をUPする情けなさよショボーン

 

 

 

 

“山形の夏の風物詩である花笠踊りで使用される花笠音頭の歌詞中に登場する

 

「めでた めでたの 若松様よ」の若松様は、ここ若松寺のことだそう。”とこちら

 

記事にあります(「花笠音頭」の歌詞はこちらをどうぞ)。

 

 

 

     

 

 

子育て地蔵尊をお祀りする地蔵堂(「境内案内」参照)。「山形百八地蔵尊霊場」に

 

ついてはこちらをどうぞ。

 

 

 

  「若松寺略縁起」はこちらをどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

「若松寺の文化財」(こちら)の解説の掲示…あれ?、絵馬堂の写真が無い叫び

 

若松観音 参拝順路絵図」には「絵馬堂」で“めずらしい「ムカサリ絵馬」を見学”と

 

あるのですが、絵馬堂の写真が見当たらないガーン。申し訳ございませんm(__)m。

 

公式ホームページの「むかさり絵馬」のページには、“若松観音は『絵馬』の宝庫と


いわれていて、千数百点の絵馬が奉納されています。その中には室町後期永禄6年

 

(1563年)に奉納された国指定重要文化財や、この地方独特のむかさり絵馬が数多く

 

奉納されています。”とあるのですが、“永禄6年(1563年)に奉納された国指定重要

 

文化財”の絵馬とは“山形県・寒河江(さがえ)の大江氏の支族である郷目右京進貞繁

 

が永禄六年(西暦1563年)に亡き妻の菩提を弔うために自ら描いて奉納した

 

もの”(こちらをお読みになってください。「山形の宝」のこちらのページや「文化

 

遺産オンライン」のこちらのページもどうぞ)。拝観には事前連絡が必要なようです

 

が、気儘に寺社めぐりを楽しむ〝火打石〟夫婦はどうも予約して動くのが苦手で汗

 

この時も残念ながら『神馬図』は拝観できませんでしたショボーン

 

 

 

 

☝いただいた参拝の栞からUPさせていただきました。

 

 

※若松寺の国指定文化財については天童市のこちらのページもどうぞ。郷目貞繁に

 ついてはこちら、「ムカサリ絵馬」についてはこちらをお読みになってください

 <(_ _)>。「日本伝承鑑」の「若松寺 ムカサリ絵馬」も参照されたしあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらのページを参照なさってください<(_ _)>。「最上三十三観音」についてはこちら

 

 

「重要文化財若松観音堂」(「山形の宝」のページはこちら 「文化遺産オン

 

ライン」のページはこちら)…こちらの観音堂は「最上三十三観音」(こちら参照

 

ウィキペディアはこちら)の第一番の札所(こちら)になります。

 

 

 

 

 

 

 

室町時代に建立したとされる「観音堂」は、慶長年間に山形城主の最上義光が大改修

したあと、文部省が昭和41~43年にかけて解体修理を行った五間四方で単層(平屋)

入母屋造り銅板葺きの御堂である。
奈良や京都の寺院の多くはヒノキやケヤキを主材料にしているが、義光は山形の最上

地方に多いブナ材を主材料にして解体作業を行った。

建築学的にみて建造物には不向きといわれるブナ材を基調にしている当観音堂は、

全国的にも珍しい御堂といえる。内部構造は中敷居に格子戸をはめ、上部に菱欄間を

入れて内外陣を区画し、内陣には須弥壇を設けて厨子を安置する形で、東北地方に

おける密教本堂の遺構として貴重なものである。なお、観音堂内部に残っている

落書きは、主に江戸期のものと思われるが、当時の参拝者が書いたもので、最上札所

の第一番霊場として、また諸願成就の祈願寺として当山がいかに多くの人々に親し

まれたかを物語る貴重な資料となっている。

 

 

☝若松寺さんの公式ホームページの「若松寺について」の「文化財」の解説から引用

 

させていただきましたが、ブナが主材料というのは確かに珍しいかも…建築に疎い

 

〝火打石〟なので、ここは夫の方が反応するかな?。

 

 

 

 

 

   観音堂の東側にある元三大師堂

 

 

 

 

 

 

 
 
こちらは本坊(祈願所)。御朱印と御札をこちらで拝受しました。
 
 
 
 
 
 
 
夫は御札がお目当て…
 
 
      
 
 
   
 
 
お地蔵さま、三面大黒天さま、元三大師さま、行基菩薩さま、毘沙門天さまの御札を
 
拝受して夫は大満足照れ
 
 
 
 
 
鐘楼堂と鐘楼堂から見た風景 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若松観音 参拝順路絵図」には弁財天さまが祀られている奥の院のイラストもあり
 
ますが、この日〝火打石〟夫婦は奥の院や最上三十三観音分霊堂までは足を運ば
 
なかったショボーン…弁財天さま、申し訳ございませんm(__)m。この日は武州に帰る日で、
 
この後を考えると常よりさらに余裕の無い参詣にえーん。ともあれ“若松さまの観音堂”を
 
お詣りできて良かった照れ。続いては“山寺”(宝珠山 立石寺)さんを参詣…出羽国の
 
寺社めぐりを締め括る参詣です。参詣記を次回UPいたしますねニコニコ