前回の記事から山形県寒河江市にある本山慈恩寺さんの参詣記を書き始めましたが、
山門をくぐって本堂をお詣りしたところで切れてしまいましたのでその続きを…
※2023年8月、〝火打石〟夫婦がお詣りした際慈恩寺さんの本堂は保存修理工事中で、いただいた
チラシに拠ると完成は2024年11月頃の予定とのこと。前回の記事でこの情報をUPすべきでしたが
うっかりしてしまいましたので、ここに挙げさせていただきます
。
本堂の次にお詣りしたのは薬師堂
続いて阿弥陀堂へ
阿弥陀堂から本堂へ戻るかたちで不動堂へ
不動堂から宝蔵院さんへ。
文中に御名前の挙がる道智上人さまについてはこちら等をどうぞ(「道智 湯殿山」
で検索)。道智上人さまは弘法大師さまの開基とされる「大日寺」を再興されたとの
ことですが、「大日寺」は現在は「湯殿山神社(旧大日寺跡大井沢湯殿山神社)」と
なっています。こちらは昨夏の寺社めぐりではお詣りできませんでした
。残念![]()
宝蔵院表門についてはこちらを参照なさってください。
“慶長18年(1613)の古札が残る表門をくぐると、格式のある伽藍が現れ一瞬奈良の
寺院を思わせる。”と「国史跡 慈恩寺旧境内」(こちら参照)の解説に記されて
いますが、そのとおりだと思います
。
山門を境内側から撮影。天台大師堂へ。
智者大師さまについてはこちらをどうぞ(ウィキペディアはこちら)。
天台大師堂から釈迦堂へ。
傅大士さまについてはこちらをどうぞ(コトバンク「傅大士」も)。
そして三重塔を拝観。
三重塔についてはこちらをどうぞ。
三重塔には大日如来さまの坐像が安置されています(こちら参照)。
三重塔を拝観した後、慈恩寺さんの鎮守の熊野神社さん(こちら)を参拝しました。
御本殿についてはこちらもどうぞ。
慈恩寺さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。
「東北三十六不動尊霊場」についてはこちら(こちらもどうぞ)、「出羽路十二薬師
霊場」についてはこちらをお読みになってください<(_ _)>。
☝夫が拝受した“法螺貝の魔除け”の御札
。でも「螺王山宝寿院」というお寺さんに
ついてはネットで情報が上手く浚えない
…ウィキペディア「慈恩寺(寒河江市)」
の「概要」に
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。
修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の
上知令により一山は困窮して帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を
伝える。
とありますが(慈恩寺さんの公式ホームページの「慈恩寺について」も参照され
たし)、法螺貝の御札は“修験による祈願寺”の名残(?)なのかなぁ?…ウィキ
ペディア「出羽三山」の「歴史」の項の“三山”には
江戸時代以前は、鳥海山や月山の東方にある葉山(白磐神社)が三山の
一つに数えられていた。湯殿山は、「出羽三山総奥院」とされ、三山には
数えられなかった。天正年間、葉山が別当寺であった慈恩寺との関係を
絶ったことで葉山信仰が衰退し、これ以降湯殿山が出羽三山の1つとして
数えられるようになったとされる。なお、慈恩寺は東北地方における天台・
真言両宗の中心となった寺院であり、湯殿山4ヶ寺のうち、本道寺
(口ノ宮湯殿山神社)と大日寺(大日寺跡湯殿山神社)は慈恩寺宝蔵院の
末寺であった。
とありますが(西川町の本道寺さんもお詣りできなかったのよね
)、慈恩寺さんは
かつては“葉山修験”と深く関わっていらしたのですね(文中の「湯殿山4ヶ寺」は
「本道寺、大日寺、大日坊、注連寺」☞こちら等参照)。こうしたお寺さんや神社
さんの歴史をざっくり調べるのが〝火打石〟は好きなのですが、“法螺貝の御札”の
由来は上手くつきとめられなかったなぁ
。夫も拝受した時に由来を伺わなかった
そうなので、「螺王山宝寿院」さんについては正確な情報を得られない
…まぁ
こういうこともありますよね
。また出羽国を訪れて、改めて「三山」ゆかりの神社
仏閣をお詣りしたい
とこの記事を書きながら思った〝火打石〟なのでした(;^_^A。









































